ゴールデンウィーク中の営業について

ゴールデンウィーク中、燕本店は下記のスケジュールで営業いたします。

営業時間は通常通り、下記の通りです。
店舗:8:30〜17:30
工場見学:10:00、11:00、13:00、14:00、15:10〜

なお、祝日は工場がお休みのため、職人が作業している様子をご覧いただけない場合がございます。
あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。

《 ゴールデンウィーク 燕本店 営業予定 》
4月29日(土・祝)営業
4月30日(日)休業
5月1日(月)〜5月5日(金・祝)営業
5月6日(土)営業
5月7日(日)休業
5月8日(月)〜通常営業

銀座店は、ゴールデンウィーク中も休まず営業しております。

[第181号] アールヌーボー 〜 時代や国境を超えて響き合う 〜

 アールヌーボーとは、Art Nouveau(フランス語)=新しい芸術を意味し、19世紀末~20世紀初頭、欧州を中心として流行した芸術運動です。産業革命による大量生産によって生じた粗悪品を憂い、人の手による芸術性の高い製品を蘇らせようとしたイギリス発祥の「アーツアンドクラフツ運動」の思想が起源となり、フランスを中心としたアールヌーボーへと受け継がれました。このアールヌーボーの理念もまた、大量に出廻る粗悪な実用品に「再び芸術を取り戻す」というものでした。アールヌーボーを特集した展覧会がここ数年、全国の美術館などで度々開催され、さらに、美術・デザイン系のWEBや雑誌などにおいても露出機会が増えていることから、アフターコロナの社会情勢において、アールヌーボーの概念があらためて見直されていると感じています。

 アールヌーボー以前は、芸術と言えば絵画や彫刻などの限られた分野が対象でしたが、アールヌーボーでは、生活を取り巻く全てのものが芸術の対象となりました。建築・インテリアをはじめ、食器・家具などの工芸品、さらには商業用ポスターなどのグラフィックも芸術の領域に高め、「総合芸術」という概念を創り上げると共に、機械化から人間性に回帰し、自然と調和した新しいライフスタイルを目指しました。そのデザインの特徴は、花や植物などの自然界に見られる形状から発想を得た「曲線」で、自然界の美しさを表現することでした。次第に、アールヌーボー様式の家を持つことや、生活用品を揃えることは欧州人のステイタスとなり、一世を風靡します。

 1900年、パリ万国博覧会の開催時に最高潮とされたアールヌーボーは、手作業の美しさ、その華やかな曲線の美しさが賞賛され「ベルエポック(美しい時代)」とも称されました。工芸の世界にも大きな影響を与え、ガラス工芸と鉄工芸は飛躍的な進化を遂げた分野ですが、中でも私が気に入っているのは、パリ万国博覧会で開通した地下鉄駅入口の鉄のオブジェです。現在、パリ市内の2駅(ポルト・ドフィーヌ駅、アベス駅)のみ、当時のオリジナルの姿を残しており、熟練した職人による高度な技術によって、アールヌーボーの軽やかな曲線が鉄で自由自在に表現されています。大量生産の社会に異を唱えた鉄職人たちは、機械力を駆使しても表現出来ない、鉄に新たな命を得たような曲線美を表現し、ベルエポックを切り開こうとしたのです。

 19世紀後半の日本開国後、欧州で紹介された浮世絵や工芸品などの日本美術は、西洋美術の概念を転換させるほどの鮮烈な衝撃を与え、欧州でジャポニスムが流行しました。以降、日本美術を積極的に取り入れる風潮が生まれましたが、そのような新しい芸術表現を模索していた時代の中で誕生したのが、アール・ヌーボーだったのです。そして、20世紀に入り、今度は逆にアールヌーボーが日本に移入されると、日本人はその軽快な曲線美に鮮烈な衝撃を受け、それらを意識した作品を製作し始めました。明治後期〜大正時代におけるアールヌーボー様式の日本の工芸は、国内外で多数現存していますが、今なお新鮮味に溢れており、当時の職人たちの心の躍動感を感じさせる名品です。まさに、時代や国境を越えて、職人たちの心は響き合ったのです。

 人間性に回帰し、自然と調和した新しいライフスタイルを目指す中で、自然界が生んだ生命力溢れる曲線美が、洋の東西問わず多くの人々の心を動かしました。経済の急速な発展の影響として、地球環境や人間社会に綻びが生じることがありますが、そのような状況下、異国から新たな文化が移入され、経済の潤滑油となって人々の心も潤す。アールヌーボーやジャポニスムの存在は、それを如実に表していたと言えるでしょう。「発想力は移動距離に比例する」という格言があります。コロナ禍における移動制限が解除され、今、あらためて異国の文化を体認する動きが急速に広がっています。積極的に海外へ訪問し、異文化の見識を深め、アフターコロナの「美しい時代(ベルエポック)」を構築していきたいものです。

[第180号] 体幹を鍛える

 健康の語源は「健体康心」。健やかな身体と康らかな心を常に保つことです。社会の成熟化と共に健康管理への意識が高まっている昨今、企業にとってスタッフの健康を保つことは、重要な経営課題となっています。健康管理は各自の自己責任というこれまでの風潮から、風邪や病気による欠勤のリスク、日本の生産年齢人口の減少などを背景に、健康管理への取り組みは生産性を高めるための「投資」として捉えられ始めており、「健康経営」が注目されています。厚生労働省の労働安全衛生法により、スタッフの安全確保や健康確保などに関する義務を定めた条項は多岐に渡りますが、それに留まらず、多くの企業は経営戦略として、さらに踏み込んだ健康促進対策を実践しています。

 健康経営は伝統工芸業界においても重要な取り組みです。職人技を極めていくためには、日々の健康管理はもちろんのこと、繰り返し技の精度を磨くのに軸となる姿勢を保つための「体幹」が大きな役割を果たしており、この体幹を日々の中で鍛えていくことは、職人として成長していくために必要不可欠なことです。ひたすら銅を叩く玉川堂の銅器職人は、伝統工芸業界の中でも体幹を鍛えることが最も重要視すべきことの一つであり、体幹が弱いと作業姿勢が悪くなり、必然的に作業効率も悪くなります。また、姿勢の悪い状態で作業を続けていると、腰痛だけでなく、内臓疾患などの病気を誘発することにも繋がりかねません。

 体幹とは、胸・背・腹・腰の4部に分けられ、腕や脚に比べると、体幹の動きは分かりにくいのですが、背骨や骨盤の向き、角度に影響を与える筋肉が集中しています。つまり、姿勢を保つ上で重要な役割を担っているのが体幹です。腕や脚を動かすために、まずは体幹の筋肉を動かす必要があり、全ての動作の起点となります。筋肉は、表層のアウターマッスル、深層のインナーマッスルで構成され、アウターは二の腕の力こぶなど、運動効果の出やすい筋肉ですが、インナーは見たり触れたりすることが難しいため、効果の出にくい筋肉です。体幹を強くしていくためには、インナーは欠かせない筋肉であり、体幹を鍛える際は、アウターと共にインナーも意識した運動が欠かせません。

 銅器職人は、「上り盤」という欅の切り株を使用した作業台に1日8時間座り、ひたすら銅を叩く作業のため、腰痛になりやすい職種です。しかし、体幹を鍛えることで作業姿勢が良くなり、体の歪みや痛みなどの負担を無くし生産性を高めることにも繋がることから、15年前より始業開始前の15分間、「玉川堂ストレッチ」と称して任意の体幹ストレッチ運動を行っています。腰周りのストレッチを中心に、体幹を伸ばすことを意識したプログラムを組んでいますが、同じストレッチを毎日繰り返していると筋肉が慣れるため、2ヶ月に1回プログラムを変え、年間を通して体幹を全て活用するよう計算しながらプログラムを組んでいます。ただ、朝だけでは不十分のため、仕事後や風呂上がりのストレッチも奨励しています。

 銅器職人が体幹を意識し、作業姿勢を良くするために行う訓練として、厚い銅板を叩く、もしくは大きな銅器を叩くことが効果的です。これらを叩く際、叩きの強度が必要のため必然的に腕の振りが大きくなり、体幹を意識した作業姿勢を身に付けることが出来ます。このような訓練が足りないと、体幹が不安定となり、銅が言うことを聞いてくれません(形状や鎚目が歪むことの意)。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」とは、剣術二刀流の名手・宮本武蔵の名言。3年間は練習期間(鍛)であり、30年掛けて技術を高めていく(錬)。30年に渡り銅器を叩き続けるためには、体幹の「鍛錬」無くして成り得ません。体幹を鍛え、体幹を意識する作業を行うことによって、「銅器の体幹」も安定してくるのです。

[第179号] 水注 〜水と共に時が流れる〜

 世界のお茶の茶聖と称される「陸羽(りくう)」。唐時代の760年頃、世界初のお茶専門書「茶経(ちゃきょう)を記して、茶の歴史・製法・淹れ方・精神性などを詳細に解説し、世界に先駆けてお茶という文化を確立させました。刊行1200年以上経過した今でも影響力は絶大で、まさに聖書のごとくお茶愛好家が愛読しており、私たち日本の伝統工芸業界においても影響を与えた一冊です。その著書の中で陸羽は、「器為茶之父、水為茶之母水(茶器はお茶の父、水はお茶の母)」と説いており、以降、洋の東西を問わず、お茶を淹れるための最適な茶器、お茶を淹れるための最適な水を求め、お茶と水の相性を追求する風習が生まれました。

 日本における水を汲み置きする金属器の起源は、仏教伝来と共に伝わった青銅器「水瓶(すいびょう)」で、当時は生活道具では無く、仏教の儀式での飲用などに使用されていました。中でも、奈良時代(8世紀)の「響銅(きょうどう)水瓶」は、銅工芸の傑作であり、国の重要文化財に指定されています。水の汲み置きが一般的に行われたのは江戸時代からで、主に陶製の「水甕(みずがめ)」と木製の「水桶(みずおけ)」が使用されました。「水甕」は舟運の容易な海に近い窯場で生産され、運搬に便利な平野部は水甕、山間部は水桶を使用していたようです。また、水甕は水を柄杓で汲みやすいよう、口径を広くしていますが、口径の狭い「壺」は、食品や調味料などの保管用としてだけでなく、茶葉の運搬や保管のための「茶壷」としても開発され、次第に庶民にもお茶を楽しむ風習が広がっていきました。

 戦乱の無い太平の世が続いた江戸時代は、庶民文化が発展して様々な民具が開発され、甕や桶以外にも水を汲み置きする道具が進化した時代で、代表的な道具としては「水注」「水差」「水指」が挙げられ、それぞれ「みずさし」と呼びます。用途は書物によって様々ですが、玉川堂に伝わる解釈では、「水注」はお茶用の水の汲み置き、「水差」はコップなどに水を注ぐ、「水指」は茶の湯用、としています。中でも「水注」は、銅の殺菌作用によって水が浄化され、お茶が美味しくまろやかに仕上がることから、明治時代から昭和初期における玉川堂の主力商品であり、「新潟の旧家には、必ず銅の水注がある」と言われたほど、新潟で定着した鎚起銅器でした。

 水注は、胴体・持ち手・注ぎ口などの形状バランス、各種部品の製作と取り付けなど、鎚起銅器のアイテムの中でも難易度が高く、この難易度の高い製品が当時の主力製品であったことから、職人の技術力は必然的に高まり、玉川堂技術の「無形文化財」指定に繋がりました。玉川堂では終業午後5時30分以降、福利厚生の一環として工場を開放し、各職人が自由に作品を作る時間を設けています。自宅で使用する銅器、公募展の作品製作など、目的は様々ですが、若手職人は自主練習として、水注を製作することが昔からの習わしとなっています。銅器技術の基本であり、生活道具の基本でもある水注を繰り返し製作することで、様々な形状に対応できる能力が養われます。

 水を汲み置きしてお茶を楽しむ文化は、主にアジア全般で浸透していましたが、浄水器などの流通によって、その風習は無くなりつつあります。しかしながら現在では、中華圏のお茶愛好家の一部が「水甕(みずがめ)」や「水注」などを使用しており、近年、あらためて水の汲み置き用の器が見直されています。「水注」で水を汲み置きし、その水を「湯沸」に注いでお湯を沸かし、そのお湯を「急須」に注いで、お茶を淹れる。玉川堂にも伝わる風習で、この3点は茶器(注器)の三種の神器です。これらの3つの銅器を使用することで、お茶が極上の一杯に仕上がるだけでなく、道具を目で楽しむことで、お茶のひとときがより豊かになります。晩に水を汲み置きし、翌日、お茶を淹れる。これが私の長年のルーティンとなっています。毎日の暮らしの中に、水と共に「時」が流れる風習を大切にし、水注の存在価値を多くの方々に再認識していただきたいと思っています。

[第178号] ルーブル美術館 〜美とは誰のものなのか〜

 「美とは誰のものなのか」。敗戦国の美術品を略奪し、戦利品として祖国へ持ち帰り、国王がコレクションとして保持することで権威を高める。美術は戦争の対極にあると考えられがちですが、このような事は古来より世界中で繰り返されてきました。また、国王の強大な権力によって芸術集団を結成し、惜しみなく金を注ぎこみ、高度な美術品を製作しながらも公開はせず、その美を堪能できるのは、王や貴族などに限定されていたのです。18世紀ドイツの美術史学者・ヴィンケルマンは、「美術とは政治に従属するものではなく、それ自体が人格形成の質となるべき」と主張。それを体現し、市民が美術を享受する権利の象徴的存在となったのが、パリ市「ルーブル美術館」です。

 世界四大美術館(ルーブル・プラド・メトロポリタン・エルミタージュ)の一つであり、所蔵数と来館者数は世界一を誇るルーブル美術館。「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」を筆頭に、人類のあらゆる美の記憶が刻まれた膨大な作品群は、時代を超越し、世界多くの人々の心を魅了し続けています。ルーブル美術館の起源は12世紀末、パリを守る要塞として建築された歴史に始まり、14世紀には、王の邸宅「ルーブル宮殿」として改築。そして、1682年、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿へ宮廷を移したことで、空き家状態となったルーブルを王立絵画彫刻アカデミー(美術学校)とし、そこで絶対王政を誇るための美術品が製作されました。また、戦利品で得た他国の美術品が次々と運ばれ、以降、ルーブルでは本格的な美術品の収集が始まります。

 ルイ14世の政策によって、絶対王政を象徴するかのような重厚で荘厳華麗な美術様式「バロック美術」は全盛期を迎え、芸術の中心地はイタリア・ローマからフランス・パリへと移行。強大な権力を盾に芸術王国が確立していきます。純金製「ルイ14 世・宝石用の櫃」を筆頭としたこの時代の金属工芸も、フランスの歴代作品の中では最高レベルと評価できます。一方で、独裁政治によってフランス国内には閉塞感が充満しており、王侯貴族も倦怠感を抱くようになります。そこから解放されるかのように、ルイ14世の死後、王の威厳や栄光とは全く異なる美術様式「ロココ美術」が流行しました。女性も社会に影響力を発揮し、甘美な愛の世界を描き出す美術が開花。曲線美を表現するヌードも多数描かれましたが、ルイ14世の時代ではあり得ない表現です。それは権力とは無縁で、夢のような美の世界。フランスに新しい美意識が生まれ、美術を楽しむ心が芽生えたのです。

 フランス革命時の1793年、国王の美術品は私有財産から国有財産へと所有権が移り、ルーブルでは欧州で初めて国王の美術品が一般公開されました。宮殿から美術館として生まれ変わり、美術が王権の象徴から市民のためのものへと転換した画期的な瞬間でした。このルーブル美術館の一般公開は、後に欧州各国の美術館開館に大きな影響を与えることになります。特に、ナポレオンの敗北による戦後賠償によって、ルーブル美術館所蔵の美術品の一部が祖国へ返還されると、バチカン美術館(ローマ)、プラド美術館(マドリード)など、美術館が次々と開館し、欧州各国でも美術品が一般公開されたのです。「美」を享受できることは平和の象徴となり、さらに、市民の美意識の向上によって、経済や文化の発展にも大きな影響力を発揮しました。

 コロナ禍において、TV番組や雑誌などでルーブル美術館の特集が多く成され、今、あらためて注目が集まっています。中でも、現在開催中の国立新美術館(六本木)「ルーブル美術館展(愛を描く)」は、ルーブル美術館の社会的存在意義を体感できる意味においても、素晴らしい展覧会です。ロココ美術を中心に、愛をテーマとした約70点が展示され、美を共有する社会の素晴らしさ、人々が美術を楽しむ世界観に溢れ、それが作品から滲み出ています。「ルーブルのないフランスに意味があるのか?」。ある本で出会った言葉が脳裏から離れません。かなり過激な表現ではあるものの、フランスという国が美術の世界を超越し、自由と平和の象徴的存在でもあることから、フランスにとってのルーブル美術館の存在意義を的確に表現した言葉と言えるのではないでしょうか。いまだに繰り返される戦争や紛争。「美とは誰のものなのか」。今、「美」をあらためて問うことが、求められているのかもしれません。

[第177号] 急須でお茶を淹れる

 ITC(国際茶業委員会)によると、現在、世界のお茶生産量は約600万トン。15年前の約300万トンに比較すると倍増しており、世界のお茶人口は急速に伸びています。世界一のお茶生産国は中国の約200万トンで、世界の約3分の1の生産量を占め、次にインド約100万トン、ロシアとトルコが各約25万トンと続き、日本は世界8位の約10万トンです。お茶生産量増加の要因として、中国でお茶消費量が伸びていることに加え、インドや中東諸国における人口増が消費拡大に直結しており、今後も中国やインドを中心に、お茶の需要はさらに拡大するものと思われます。世界のお茶生産量の約6割が紅茶、約3割が緑茶と推計されていますが、近年は中国を中心に緑茶の生産量が増加しており、お茶の傾向は、紅茶から緑茶へと移行しつつあります。

 茶農家にとって新茶を摘むことは、1年に1回の特別な作業。茶葉へ栄養素を送るために土壌と日照を徹底的に管理する他、初春の霜害から茶葉を守り、数々のハードルを乗り越え、1年掛けて育てた新茶には自然の恵みが凝縮されています。地域差があるものの、日本では5月初旬頃に新茶が摘まれますが、フレッシュで清々しい香りが特徴で、テアニン(旨味・甘味)が多く抽出され、「一番茶」とも称されます。その後、二番茶(6月頃)、三番茶(8月頃)、四番茶(10月頃)が摘まれますが、時期の経過と共にカテキン(苦味・渋味)の方が多く抽出されます。一番茶は、最も品質が高いことから高値で取引され、茶葉として販売されることが多く、二番茶以降は、三番四番と、時期の経過と共に安値で取引され、主にペットボトル飲料向けに使用されます。

 日本茶の味覚をしっかりと味わうためには、急須が必需品であり、どの家庭でも生活道具として、朝昼晩とフル稼働でした。しかし、その風習を一変させたのが、ペットボトル容器のお茶飲料の登場です。発売開始の1990年は、1000ml以上の大容量でしたが、1996年に500ml容器の販売が始まると一挙に普及し、それに伴って急須の需要は低下していきます。そして2007年、1世帯当たりのお茶の年間支出金額は、ペットボトルなどのお茶飲料(5802円)が茶葉(5290円)を逆転。現在、年間支出金額の割合は、お茶飲料約70%・茶葉約30%となっていますが、年代別で見ると、50歳以下の割合は、お茶飲料約90%・茶葉10%となっており、急須でお茶を淹れる風習は無くなりつつあります。

 中国・台湾・香港などの中華系、そしてインドなどの世界有数のお茶消費国でも、ペットボトル需要は増加傾向にあります。一方で、急須などの茶器を使用する需要も同時に高まっており、茶葉本来の味覚を楽しむ文化は、着実に継承されています。世界最大の工芸産地、中国・江西省「景徳鎮(けいとくちん)」は、主に茶杯(湯呑)の産地として知られていますが、世界最大の急須の産地は、中国・江蘇省 「宜興(ぎこう)」です。世界のお茶愛好家が急須の聖地として崇める工芸産地で、中華圏の経済成長と共に、高級品の需要が高まっています。宜興では、古来よりお茶を淹れるための機能美を追求しており、日本最大の急須の産地・愛知県「常滑焼」は、江戸時代、宜興の急須の影響を受け、日本独自の急須を開発してきました。同じく玉川堂においても、明治時代、宜興の急須が原形となり独自のアレンジを加えていき、日本茶・中国茶など、ほぼ全ての茶葉に対応できるよう、綿密に設計した急須となっています。

 世界主要のお茶消費国の中で、茶器を使用する風習が急激に薄れてしまった国は、日本だけの現象です。社会全体が効率化に目が向けられ、日本においてお茶とは、香りを楽しむものではなく、喉の潤すための飲料水という位置付けが強まっています。私も旅先の移動中などはペットボトル飲料を飲用しており、手軽にお茶を飲めることから、決してペットボトル飲料の存在を否定するものではありません。しかしながら、急須でお茶を淹れることは、茶葉本来のお茶の香りや旨味を楽しむだけなく、その淹れることの所作は、心に安らぎを与え、現代のストレス社会だからこそ見直すべき、日本人の風習であると思っています。また、正しいお茶の淹れ方を身に付けると、茶葉のポテンシャルを最大限に引き出し、茶葉の香りや旨みが凝縮された極上の一杯に仕上がります。「急須でお茶を淹れる」。これから新茶のシーズンです。茶農家の方々が1年間、丹精込めて栽培した茶葉を、一息付きながら、じっくりと味わいたいものです。

[第176号] 彫金師 〜1本の彫線にかけた人生〜

 金属工芸は「鋳金(ちゅうきん)」「鍛金(たんきん)」「彫金(ちょうきん)」の3つに分類されます。「鋳金」とは型に金属を流し込んで器へと整形する技法、「鍛金」とは金属板を叩いて器へと整形する技法、「彫金」とは鏨(たがね)を用いて文様を彫る技法を指します。一般的に彫金は、鋳金や鍛金の作品に対して文様を彫るため、陶磁器の「絵付」や漆器の「蒔絵」などに相当する技法です。1本でも彫線が歪んだ場合、その製品は破棄となり、失敗の許されない作業です。そのため、作業場は振動や音の無い静かな環境であること、その上で、作業中に手が震えない対策として、日頃の体調管理だけでなく、作業前は重労働をしないなど、心身共に平常な状態を保つことが求められます。その精神バランスを養うためには、感性や経験値だけでなく、彫金師としての生き方を問われる作業とも言えます。

 日本の彫金の技術は、弥生時代(BC3世紀頃)にシルクロードを経由して伝わりましたが、技術拡大の契機になったのは538年の仏教伝来です。造寺や造仏が盛んに行われたことから、彫金需要が増加し、さらに、遣唐使によって「唐草文様」など、大陸の文様が移入されると、彫金は様々な用途に用いられるようになりました。中でも、東大寺所蔵の国宝「銀製壷・狩猟文」(奈良時代)は、切手にも採用された日本の金属工芸を代表する名品で、技術や文様の観点から、私はこの作品が日本の金属工芸の原点であると考えています。平安時代に入り、武士が台頭すると、刀剣・甲冑などに華やかな彫金を施すようになり、戦乱の無い太平の世が続いた江戸時代には、美術工芸の要素が強い、観賞用の刀装具に彫金の需要が高まり、彫金師は花形の職業として存在感を高めていきます。

 新潟県燕市における金属加工技術の多くは、会津若松の金属加工職人によって伝えられ、燕のルーツは会津若松にあります。彫金の技術も同様で、明治18年頃、会津若松の彫金師によって燕へ伝えられました。華やかな文様を器へ表現する彫金は、当時の燕の基幹産業であった銅器や煙管などの製品に適合し、次第に彫金産地としても発展します。大正時代、ステンレスやアルミなどの新素材が登場すると、銅器や煙管などの需要は激減し、同時に多くの彫金師も仕事を失いましたが、燕の職人たちは金属洋食器(カトラリー)の開発に活路を見出すと、彫金師も金属洋食器に適した文様や技術(金型彫刻)に活路を見出し、最盛期の昭和50年代は、燕市だけで約130名の彫金師が活躍する日本有数の地域として栄えました。しかし、金属洋食器の生産量の低下、文様も簡素化され、現在、彫金師は10名以下となり、かつ高齢化も進み、存続の危機となっています。

 現在、産業として彫金が残る地域は、京都・東京・高岡を中心に複数存在します。一時は高度経済成長期以降の贈答需要の高まりから、花瓶や額などに華やかな文様を入れる彫金製品の生産量は大きく増加したものの、バブル崩壊以降は、そうした製品の需要の落ち込みにより生産額の減少に歯止めが掛かっていません。高岡彫金はデータ(高岡市役所)が公表されており、新型コロナ前、2018年度の彫金事業所数=16事業所(職人数26名)、その合計生産額(年間)=6,090万円。高度な技術を持ちながらも、事業としては厳しい状況が伺えます。玉川堂の鎚起銅器は「鍛金」に分類されますが、明治時代より「彫金」も取り入れ、同じく高度経済成長期以降、贈答需要による彫金入りの花瓶や額などは、売上の約7割を占める主力製品でした。しかし、バブル崩壊以降、贈答需要から脱却し、自家用の茶器や酒器へと主力製品を移行させた結果、彫金の入らない、鎚目のみの銅器に人気が集まり、彫金の作業は減少傾向にあります。

 「鏨を打ち込む心が、生命を生み表すものであり、心の弾む時も、また沈む時も、迷いも、全てがその彫線に残される。」昭和を代表する彫金師・船越春秀の言葉です。研ぎ澄まされた精神力と集中力を投入し、長時間かけて丹念に研いだ鏨に込めた1本の彫線には、「彫金師の生き方」そのものが表現されます。古代より、彫金師の血をたぎらせ、そして、人々の心を魅了し、生活に潤いを与えてきた彫金。彫金の文化をさらに発展させ、正しく後世へ伝えることは、私たち玉川堂の社会的責任でもあると考えており、昨年、新たな彫金師が玉川堂に加わりました。玉川堂で明治から伝わる文様(動植物や干支などの図案)を活かしながら、新たな文様を生み出し、今後は彫金製品のさらなる充実を図ります。彫金とは、文様に森羅万象の美しさを凝縮させ、幸運・繁栄・豊作などの願いを表現すること。彫金の存在は、これまでも、そしてこれからも、世界中の人々の心を、永久に豊かにしていくものと信じています。

[第175号] 中国工芸の真髄に触れる

 日本の工芸は、中国の明清時代(明1368〜1644・清1644〜1912)の工芸の影響を強く受けています。古代より、中国の工芸の種類・技術力・表現力などは、他国より優れた存在でしたが、明の時代に入ると大きく花開き、色彩豊かな様々な美術様式が発展し、特に陶磁器・漆器・七宝・木彫・染織などに多数の名品が残されています。そして清の時代に入ると、中国の工芸が欧州人に高く評価され、美術工芸やインテリアなどに中国様式を取り入れた作品が大ブームを興し、「シノワズリー(中国趣味)」として一世を風靡。また、日本でもシノワズリーが興り、特に江西省・景徳鎮(けいとくちん)の陶磁器の存在は、日本の工芸の根幹を覆すほどの衝撃を与え、有田焼・伊万里焼・九谷焼を筆頭に中国様式を積極的に取り入れる風潮が生まれ、後の「ジャポニスム」へと繋がっていきます。

 明清時代の工芸の最盛期は、清の第6代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい、在位1735〜96)の頃です。歴代皇帝の中で、最も工芸に造詣が深いことで知られ、工芸王国・中国の確固たる地位を築きました。拡散していた中国歴代の工芸品の収集と編集作業を行い、「乾隆帝コレクション」として史上最大規模の図録を作成した他、職人技術養成にも尽力し、その歴代作品を倣古(ほうこ)しつつ、それを超越する工芸品の制作を推し進め、超絶技巧の名に相応しいその技術力と感性の高さは、見惚れるほどの美しさです。また、乾隆帝時代からガラス工芸の製作が本格化し、その美意識に魅了されたフランスのエミール・ガレとドーム兄弟は、それらの作品を参考として独自の作風を生み出し、「アールヌーボー」への原動力となっています。

 乾隆帝の美意識は工芸に留まらず、中国庭園にも生かされました。ユネスコの世界遺産数世界一を誇る中国において、乾隆帝が造園した世界遺産「頤和園(いわえん)」は、中国屈指の庭園とされ、北京では万里の長城と並ぶ観光名所となっています。日本庭園のルーツは中国庭園にありますが、侘び寂びや不均衡の美を求め、要素を削ぎ落とす日本庭園に対し、中国庭園は理想の桃源郷を求め、この世に存在しない神秘的な空想世界を演出する「造景芸術」と言えます。約4000年前から造園されてきた中国庭園は、中国様式の絵画・書・詩などの技巧と深く結び付きながら進化を遂げ、乾隆帝の時代に最高峰を迎えました。古代から継承されてきた中国庭園の美意識は、中国の工芸とも深く結び付いており、庭園の発展は、工芸の発展にも大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 一方、中国の工芸の象徴的存在である銅器は、明清時代より遥か古く、古代中国が全盛期でした。古代メソポタミアで開発された青銅器(鋳物)は、BC1700年頃に古代中国へ移入されると、祭祀用の器として飛躍的な進化を遂げます。そしてBC221年、始皇帝が中国史上初の統一帝国・秦を構築すると、器ではなく立体物を中心に優れた銅製品が製作され、その代表作が始皇帝の「銅馬車」です。金属工芸の業界において、史上最高傑作の銅製品と評する職人も多く、私も異論の余地が無いほど極めて精巧に作られています。約3500個の鋳造部品を溶接で組み合わせ、中には厚さ約1mmの極薄の鋳造部品もあり、現在の金属加工技術を駆使しても再現は極めて困難です。世界の考古学史上、技術や構造が最も複雑であり、約2200年前、なぜこれほど先進的な銅加工技術が存在したかについては、未だ謎に包まれています。

 この銅馬車は、中国・西安市「兵馬俑博物館」に展示されており、門外不出ですが、この銅馬車の複製品、兵馬俑(等身大の陶製埋葬人形)、青銅器などが一堂に介した展覧会「兵馬俑と古代中国」が東京(上野)で開催されており、先月1月、見学してきました。秦の始皇帝の時代は、兵馬俑約8000体の製作、万里の長城の建築開始など、中国文化の中核を成す時代。展覧会の作品の数々は人間の技術力と感性を超越し、中でも銅馬車の存在感は際立っており、金属工芸の業界に従事している私にとって、その原点を体認する貴重な展覧会でした。日本の工芸の原点は中国の工芸にあり、その真髄に触れることは、工芸の本質を知り、工芸の理解を深めることに繋がります。日々の生活の中で、工芸品を楽しむ上においても、中国の工芸の理解を深めるほどに、その奥行きの感じ方は大きく広がっていくものと思っています。

4月8日(土)燕本店 コーヒーセミナーのお知らせ

発売から10年以上たち、すっかり玉川堂の定番製品になったコーヒーポット。
今回は、新潟県新発田市の人気ロースター「三角フラスコ」の星野さんをお迎えし、コーヒーセミナーを開催いたします。
玉川堂のコーヒーポットを使ってドリップ体験をしながら、星野さんや玉川堂の職人と焙煎や道具について語り合う、熱くリラックスした時間を過ごしましょう。
会場では年内に玉川堂から発売予定の新作ドリップポットもお試しいただけます。

《イベント詳細》
日時:4月8日(土)13時半〜2時間程度
人数:5名
料金:おひとり3,500円(お土産コーヒー付き)
ゲスト講師:三角フラスコ 星野さん
お申込方法・お問い合わせ:
DM(Instagram・Facebook)、メール(info@gyokusendo.com)にて承ります。
お名前と人数、ご連絡先をお知らせください。

燕本店「樺細工 〜ありのままの自然を暮らしに〜 」のお知らせ

秋田県の角館のみに伝承されている樺細工は、美しい光沢と渋みのある色合いが特徴の、天然山桜の樹皮を素材とした工芸品です。
樺細工の良質なものを集めて展示販売するほか、25日(土)、26日(日)の2日間、伝統工芸士による茶さじの製作体験を行います。
是非この機会に、伝統工芸士の貴重な作品を含めて、角館の逸品をご覧ください。

〜催事詳細〜
《会期》
3月25日(土)〜3月30日(木)
8時30分〜17時30分 ※会期中無休
《会場》 玉川堂 燕本店2階

〜会期中の特別イベント  製作体験〜
樺細工の技術を用いた茶さじの製作体験です。
伝統工芸士 米沢研吾氏が秋田から二日間 在店します。
純桜材のたたみ木地をお好きな形に削ったり模様を貼り付けたりして、 オリジナルの茶さじを作りましょう。

《日時》
3月25日(土)、26日(日) 
午前の会: 9時半〜11時半    
午後の会: 13時半〜15時半
《場所》 玉川堂燕本店
《定員》 各回 5名
《料金》 おひとり 2,200円(材料費込み)
製作体験お申し込みはこちらから

《お問合わせ》
玉川堂 燕本店
TEL:0256-62-2015
月〜土: 8:30 ~ 17:30  
Email: info@gyokusendo.com
製作体験のお申し込みはこちらからも受け付けております。