[第177号] 急須でお茶を淹れる

 ITC(国際茶業委員会)によると、現在、世界のお茶生産量は約600万トン。15年前の約300万トンに比較すると倍増しており、世界のお茶人口は急速に伸びています。世界一のお茶生産国は中国の約200万トンで、世界の約3分の1の生産量を占め、次にインド約100万トン、ロシアとトルコが各約25万トンと続き、日本は世界8位の約10万トンです。お茶生産量増加の要因として、中国でお茶消費量が伸びていることに加え、インドや中東諸国における人口増が消費拡大に直結しており、今後も中国やインドを中心に、お茶の需要はさらに拡大するものと思われます。世界のお茶生産量の約6割が紅茶、約3割が緑茶と推計されていますが、近年は中国を中心に緑茶の生産量が増加しており、お茶の傾向は、紅茶から緑茶へと移行しつつあります。

 茶農家にとって新茶を摘むことは、1年に1回の特別な作業。茶葉へ栄養素を送るために土壌と日照を徹底的に管理する他、初春の霜害から茶葉を守り、数々のハードルを乗り越え、1年掛けて育てた新茶には自然の恵みが凝縮されています。地域差があるものの、日本では5月初旬頃に新茶が摘まれますが、フレッシュで清々しい香りが特徴で、テアニン(旨味・甘味)が多く抽出され、「一番茶」とも称されます。その後、二番茶(6月頃)、三番茶(8月頃)、四番茶(10月頃)が摘まれますが、時期の経過と共にカテキン(苦味・渋味)の方が多く抽出されます。一番茶は、最も品質が高いことから高値で取引され、茶葉として販売されることが多く、二番茶以降は、三番四番と、時期の経過と共に安値で取引され、主にペットボトル飲料向けに使用されます。

 日本茶の味覚をしっかりと味わうためには、急須が必需品であり、どの家庭でも生活道具として、朝昼晩とフル稼働でした。しかし、その風習を一変させたのが、ペットボトル容器のお茶飲料の登場です。発売開始の1990年は、1000ml以上の大容量でしたが、1996年に500ml容器の販売が始まると一挙に普及し、それに伴って急須の需要は低下していきます。そして2007年、1世帯当たりのお茶の年間支出金額は、ペットボトルなどのお茶飲料(5802円)が茶葉(5290円)を逆転。現在、年間支出金額の割合は、お茶飲料約70%・茶葉約30%となっていますが、年代別で見ると、50歳以下の割合は、お茶飲料約90%・茶葉10%となっており、急須でお茶を淹れる風習は無くなりつつあります。

 中国・台湾・香港などの中華系、そしてインドなどの世界有数のお茶消費国でも、ペットボトル需要は増加傾向にあります。一方で、急須などの茶器を使用する需要も同時に高まっており、茶葉本来の味覚を楽しむ文化は、着実に継承されています。世界最大の工芸産地、中国・江西省「景徳鎮(けいとくちん)」は、主に茶杯(湯呑)の産地として知られていますが、世界最大の急須の産地は、中国・江蘇省 「宜興(ぎこう)」です。世界のお茶愛好家が急須の聖地として崇める工芸産地で、中華圏の経済成長と共に、高級品の需要が高まっています。宜興では、古来よりお茶を淹れるための機能美を追求しており、日本最大の急須の産地・愛知県「常滑焼」は、江戸時代、宜興の急須の影響を受け、日本独自の急須を開発してきました。同じく玉川堂においても、明治時代、宜興の急須が原形となり独自のアレンジを加えていき、日本茶・中国茶など、ほぼ全ての茶葉に対応できるよう、綿密に設計した急須となっています。

 世界主要のお茶消費国の中で、茶器を使用する風習が急激に薄れてしまった国は、日本だけの現象です。社会全体が効率化に目が向けられ、日本においてお茶とは、香りを楽しむものではなく、喉の潤すための飲料水という位置付けが強まっています。私も旅先の移動中などはペットボトル飲料を飲用しており、手軽にお茶を飲めることから、決してペットボトル飲料の存在を否定するものではありません。しかしながら、急須でお茶を淹れることは、茶葉本来のお茶の香りや旨味を楽しむだけなく、その淹れることの所作は、心に安らぎを与え、現代のストレス社会だからこそ見直すべき、日本人の風習であると思っています。また、正しいお茶の淹れ方を身に付けると、茶葉のポテンシャルを最大限に引き出し、茶葉の香りや旨みが凝縮された極上の一杯に仕上がります。「急須でお茶を淹れる」。これから新茶のシーズンです。茶農家の方々が1年間、丹精込めて栽培した茶葉を、一息付きながら、じっくりと味わいたいものです。