[第181号] アールヌーボー 〜 時代や国境を超えて響き合う 〜

 アールヌーボーとは、Art Nouveau(フランス語)=新しい芸術を意味し、19世紀末~20世紀初頭、欧州を中心として流行した芸術運動です。産業革命による大量生産によって生じた粗悪品を憂い、人の手による芸術性の高い製品を蘇らせようとしたイギリス発祥の「アーツアンドクラフツ運動」の思想が起源となり、フランスを中心としたアールヌーボーへと受け継がれました。このアールヌーボーの理念もまた、大量に出廻る粗悪な実用品に「再び芸術を取り戻す」というものでした。アールヌーボーを特集した展覧会がここ数年、全国の美術館などで度々開催され、さらに、美術・デザイン系のWEBや雑誌などにおいても露出機会が増えていることから、アフターコロナの社会情勢において、アールヌーボーの概念があらためて見直されていると感じています。

 アールヌーボー以前は、芸術と言えば絵画や彫刻などの限られた分野が対象でしたが、アールヌーボーでは、生活を取り巻く全てのものが芸術の対象となりました。建築・インテリアをはじめ、食器・家具などの工芸品、さらには商業用ポスターなどのグラフィックも芸術の領域に高め、「総合芸術」という概念を創り上げると共に、機械化から人間性に回帰し、自然と調和した新しいライフスタイルを目指しました。そのデザインの特徴は、花や植物などの自然界に見られる形状から発想を得た「曲線」で、自然界の美しさを表現することでした。次第に、アールヌーボー様式の家を持つことや、生活用品を揃えることは欧州人のステイタスとなり、一世を風靡します。

 1900年、パリ万国博覧会の開催時に最高潮とされたアールヌーボーは、手作業の美しさ、その華やかな曲線の美しさが賞賛され「ベルエポック(美しい時代)」とも称されました。工芸の世界にも大きな影響を与え、ガラス工芸と鉄工芸は飛躍的な進化を遂げた分野ですが、中でも私が気に入っているのは、パリ万国博覧会で開通した地下鉄駅入口の鉄のオブジェです。現在、パリ市内の2駅(ポルト・ドフィーヌ駅、アベス駅)のみ、当時のオリジナルの姿を残しており、熟練した職人による高度な技術によって、アールヌーボーの軽やかな曲線が鉄で自由自在に表現されています。大量生産の社会に異を唱えた鉄職人たちは、機械力を駆使しても表現出来ない、鉄に新たな命を得たような曲線美を表現し、ベルエポックを切り開こうとしたのです。

 19世紀後半の日本開国後、欧州で紹介された浮世絵や工芸品などの日本美術は、西洋美術の概念を転換させるほどの鮮烈な衝撃を与え、欧州でジャポニスムが流行しました。以降、日本美術を積極的に取り入れる風潮が生まれましたが、そのような新しい芸術表現を模索していた時代の中で誕生したのが、アール・ヌーボーだったのです。そして、20世紀に入り、今度は逆にアールヌーボーが日本に移入されると、日本人はその軽快な曲線美に鮮烈な衝撃を受け、それらを意識した作品を製作し始めました。明治後期〜大正時代におけるアールヌーボー様式の日本の工芸は、国内外で多数現存していますが、今なお新鮮味に溢れており、当時の職人たちの心の躍動感を感じさせる名品です。まさに、時代や国境を越えて、職人たちの心は響き合ったのです。

 人間性に回帰し、自然と調和した新しいライフスタイルを目指す中で、自然界が生んだ生命力溢れる曲線美が、洋の東西問わず多くの人々の心を動かしました。経済の急速な発展の影響として、地球環境や人間社会に綻びが生じることがありますが、そのような状況下、異国から新たな文化が移入され、経済の潤滑油となって人々の心も潤す。アールヌーボーやジャポニスムの存在は、それを如実に表していたと言えるでしょう。「発想力は移動距離に比例する」という格言があります。コロナ禍における移動制限が解除され、今、あらためて異国の文化を体認する動きが急速に広がっています。積極的に海外へ訪問し、異文化の見識を深め、アフターコロナの「美しい時代(ベルエポック)」を構築していきたいものです。