[第178号] ルーブル美術館 〜美とは誰のものなのか〜

 「美とは誰のものなのか」。敗戦国の美術品を略奪し、戦利品として祖国へ持ち帰り、国王がコレクションとして保持することで権威を高める。美術は戦争の対極にあると考えられがちですが、このような事は古来より世界中で繰り返されてきました。また、国王の強大な権力によって芸術集団を結成し、惜しみなく金を注ぎこみ、高度な美術品を製作しながらも公開はせず、その美を堪能できるのは、王や貴族などに限定されていたのです。18世紀ドイツの美術史学者・ヴィンケルマンは、「美術とは政治に従属するものではなく、それ自体が人格形成の質となるべき」と主張。それを体現し、市民が美術を享受する権利の象徴的存在となったのが、パリ市「ルーブル美術館」です。

 世界四大美術館(ルーブル・プラド・メトロポリタン・エルミタージュ)の一つであり、所蔵数と来館者数は世界一を誇るルーブル美術館。「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」を筆頭に、人類のあらゆる美の記憶が刻まれた膨大な作品群は、時代を超越し、世界多くの人々の心を魅了し続けています。ルーブル美術館の起源は12世紀末、パリを守る要塞として建築された歴史に始まり、14世紀には、王の邸宅「ルーブル宮殿」として改築。そして、1682年、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿へ宮廷を移したことで、空き家状態となったルーブルを王立絵画彫刻アカデミー(美術学校)とし、そこで絶対王政を誇るための美術品が製作されました。また、戦利品で得た他国の美術品が次々と運ばれ、以降、ルーブルでは本格的な美術品の収集が始まります。

 ルイ14世の政策によって、絶対王政を象徴するかのような重厚で荘厳華麗な美術様式「バロック美術」は全盛期を迎え、芸術の中心地はイタリア・ローマからフランス・パリへと移行。強大な権力を盾に芸術王国が確立していきます。純金製「ルイ14 世・宝石用の櫃」を筆頭としたこの時代の金属工芸も、フランスの歴代作品の中では最高レベルと評価できます。一方で、独裁政治によってフランス国内には閉塞感が充満しており、王侯貴族も倦怠感を抱くようになります。そこから解放されるかのように、ルイ14世の死後、王の威厳や栄光とは全く異なる美術様式「ロココ美術」が流行しました。女性も社会に影響力を発揮し、甘美な愛の世界を描き出す美術が開花。曲線美を表現するヌードも多数描かれましたが、ルイ14世の時代ではあり得ない表現です。それは権力とは無縁で、夢のような美の世界。フランスに新しい美意識が生まれ、美術を楽しむ心が芽生えたのです。

 フランス革命時の1793年、国王の美術品は私有財産から国有財産へと所有権が移り、ルーブルでは欧州で初めて国王の美術品が一般公開されました。宮殿から美術館として生まれ変わり、美術が王権の象徴から市民のためのものへと転換した画期的な瞬間でした。このルーブル美術館の一般公開は、後に欧州各国の美術館開館に大きな影響を与えることになります。特に、ナポレオンの敗北による戦後賠償によって、ルーブル美術館所蔵の美術品の一部が祖国へ返還されると、バチカン美術館(ローマ)、プラド美術館(マドリード)など、美術館が次々と開館し、欧州各国でも美術品が一般公開されたのです。「美」を享受できることは平和の象徴となり、さらに、市民の美意識の向上によって、経済や文化の発展にも大きな影響力を発揮しました。

 コロナ禍において、TV番組や雑誌などでルーブル美術館の特集が多く成され、今、あらためて注目が集まっています。中でも、現在開催中の国立新美術館(六本木)「ルーブル美術館展(愛を描く)」は、ルーブル美術館の社会的存在意義を体感できる意味においても、素晴らしい展覧会です。ロココ美術を中心に、愛をテーマとした約70点が展示され、美を共有する社会の素晴らしさ、人々が美術を楽しむ世界観に溢れ、それが作品から滲み出ています。「ルーブルのないフランスに意味があるのか?」。ある本で出会った言葉が脳裏から離れません。かなり過激な表現ではあるものの、フランスという国が美術の世界を超越し、自由と平和の象徴的存在でもあることから、フランスにとってのルーブル美術館の存在意義を的確に表現した言葉と言えるのではないでしょうか。いまだに繰り返される戦争や紛争。「美とは誰のものなのか」。今、「美」をあらためて問うことが、求められているのかもしれません。