[第180号] 体幹を鍛える

 健康の語源は「健体康心」。健やかな身体と康らかな心を常に保つことです。社会の成熟化と共に健康管理への意識が高まっている昨今、企業にとってスタッフの健康を保つことは、重要な経営課題となっています。健康管理は各自の自己責任というこれまでの風潮から、風邪や病気による欠勤のリスク、日本の生産年齢人口の減少などを背景に、健康管理への取り組みは生産性を高めるための「投資」として捉えられ始めており、「健康経営」が注目されています。厚生労働省の労働安全衛生法により、スタッフの安全確保や健康確保などに関する義務を定めた条項は多岐に渡りますが、それに留まらず、多くの企業は経営戦略として、さらに踏み込んだ健康促進対策を実践しています。

 健康経営は伝統工芸業界においても重要な取り組みです。職人技を極めていくためには、日々の健康管理はもちろんのこと、繰り返し技の精度を磨くのに軸となる姿勢を保つための「体幹」が大きな役割を果たしており、この体幹を日々の中で鍛えていくことは、職人として成長していくために必要不可欠なことです。ひたすら銅を叩く玉川堂の銅器職人は、伝統工芸業界の中でも体幹を鍛えることが最も重要視すべきことの一つであり、体幹が弱いと作業姿勢が悪くなり、必然的に作業効率も悪くなります。また、姿勢の悪い状態で作業を続けていると、腰痛だけでなく、内臓疾患などの病気を誘発することにも繋がりかねません。

 体幹とは、胸・背・腹・腰の4部に分けられ、腕や脚に比べると、体幹の動きは分かりにくいのですが、背骨や骨盤の向き、角度に影響を与える筋肉が集中しています。つまり、姿勢を保つ上で重要な役割を担っているのが体幹です。腕や脚を動かすために、まずは体幹の筋肉を動かす必要があり、全ての動作の起点となります。筋肉は、表層のアウターマッスル、深層のインナーマッスルで構成され、アウターは二の腕の力こぶなど、運動効果の出やすい筋肉ですが、インナーは見たり触れたりすることが難しいため、効果の出にくい筋肉です。体幹を強くしていくためには、インナーは欠かせない筋肉であり、体幹を鍛える際は、アウターと共にインナーも意識した運動が欠かせません。

 銅器職人は、「上り盤」という欅の切り株を使用した作業台に1日8時間座り、ひたすら銅を叩く作業のため、腰痛になりやすい職種です。しかし、体幹を鍛えることで作業姿勢が良くなり、体の歪みや痛みなどの負担を無くし生産性を高めることにも繋がることから、15年前より始業開始前の15分間、「玉川堂ストレッチ」と称して任意の体幹ストレッチ運動を行っています。腰周りのストレッチを中心に、体幹を伸ばすことを意識したプログラムを組んでいますが、同じストレッチを毎日繰り返していると筋肉が慣れるため、2ヶ月に1回プログラムを変え、年間を通して体幹を全て活用するよう計算しながらプログラムを組んでいます。ただ、朝だけでは不十分のため、仕事後や風呂上がりのストレッチも奨励しています。

 銅器職人が体幹を意識し、作業姿勢を良くするために行う訓練として、厚い銅板を叩く、もしくは大きな銅器を叩くことが効果的です。これらを叩く際、叩きの強度が必要のため必然的に腕の振りが大きくなり、体幹を意識した作業姿勢を身に付けることが出来ます。このような訓練が足りないと、体幹が不安定となり、銅が言うことを聞いてくれません(形状や鎚目が歪むことの意)。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」とは、剣術二刀流の名手・宮本武蔵の名言。3年間は練習期間(鍛)であり、30年掛けて技術を高めていく(錬)。30年に渡り銅器を叩き続けるためには、体幹の「鍛錬」無くして成り得ません。体幹を鍛え、体幹を意識する作業を行うことによって、「銅器の体幹」も安定してくるのです。