[第211号] 近代化の象徴「アールデコ」

 アールデコは、フランス語でアール=芸術・デコ=装飾を意味し、1925年(大正14年)パリ万国博覧会でアールヌーヴォーに代わるデザイン様式として一世を風靡しました。アールヌーヴォーは、植物などを連想させる曲線を多用した有機的なデザインであるのに対し、アールデコは、自動車・飛行機などの工業製品が発達し、近代都市化への移り変わりに伴った幾何学的なデザインが特徴で、パリ万博以降、「新時代の美意識」として様式化されました。どちらも爆発的に流行し、やがて姿を消していきましたが、何度もブームが再燃する普遍性があり、中でもアールデコは、昨年100周年を記念した展覧会が、日本を含む世界主要各国で開催され、大きな話題を呼びました。その盛り上がりを受けて、今あらためてアールデコに注目が集まっています。

 日本におけるアールデコの到来は、1923年(大正12年)関東大震災によって、東京が壊滅的被害を受けたことに起因します。歴史的建造物をはじめとする貴重な文化財が焼失し、廃墟と化した東京。力強く復興への道を歩む中、新しい社会を創り出そうとした日本の若きクリエイターたちにとって、同時期に誕生したアールデコは、今までに無い鮮烈なデザインとして受け止められ、夢と希望に満ちた存在でした。彼らの製作の拠り所となったのは、復興後の近代都市と新しいライフスタイルの誕生でした。こうしてアールデコ様式は、建築・インテリアなどに復興のシンボルとして多用され、東京は着実に復興への道を歩み始めます。

 現存する日本のアールデコの代表作は、1933年(昭和8年)竣工の朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)です。本場フランスのアールデコ主要作家がデザイン構成し、日本のエリート建築集団が設計に関わった、まさにアールデコ様式の精華。外観から内部のインテリアに至るまで、アールデコ様式が完全な形で現存する奇跡の館として知られるこの場所は、東京復興への足音や、近代化へ向けた情熱が体感でき、五感が刺激される空間です。また、伊勢丹新宿本店の外装(1933年竣工)と三越日本橋本店の内装(1935年竣工)もアールデコ様式の極みです。もし伊勢丹の外観と三越の内装を組み合わせたら、どんなに素晴らしい百貨店建造物になっていたことかと、両百貨店を訪問する度に呟くほど美しさ。これらの建造物から、私自身、多くのインスピレーションを得ており、アールデコの美意識は時代を超越し、今なお、私たちの感性を刺激し続けているのです。

 建築、インテリアのみならず、私たち工芸業界においても、アールデコは絶大な影響力を与えたデザイン様式です。パリ万国博覧会で出会ったアールデコの美意識に衝撃を受けた日本の工芸家たちは、翌1926年、万博対策として製作した豪華絢爛な装飾を施した「輸出工芸」に見切りを付け、新しい工芸の流れを構築しようと複数の工芸団体を発足させます。こうしてアールデコ様式の作品が次々と誕生することとなったのです。この動きは全国の職人にも波及し、従来の工芸作品には見られない幾何学的な形状や文様が多用されるようになります。陶磁器メーカー・ノリタケ「ノリタケ・アールデコ」は、その代表格と言えるでしょう。玉川堂においても、昭和初期の作品(当時・玉川堂4代目)には、アールデコ様式を意識した花器などが製作され、当時のアールデコが燕の職人にも影響力を発揮したことを、作品から垣間見ることが出来るのです。

 ニューヨークを象徴する高層ビル「クライスラー・ビル(1928年竣工)」と「エンパイアー・ステート・ビル(1931年竣工)」は、アールデコ建築の最高峰です。1920〜30年代に始まった高層建築ブームとアールデコの時期が一致し、世界一を狙う高層建設競争の中、世界の先陣を切ってアールデコ様式が応用されました。ニューヨークの街並みを歩く人たちは、アールデコ様式のファッションやジュエリーを身にまとい、その流行は日本にも伝わり、和服から洋服へと移行する契機となり、銀座の街を歩く若者のステータスとなりました。デザインという概念が浸透していない時代に芽生えたこの「デザインの力」は、世界の人々に夢と希望を与える存在となったのです。アールデコ旋風から100年。その歴史を振り返ることで、デザインの影響力を再認識し、「デザインマインド」を持った社会を構築していくことが、これからの世界経済の発展に必要不可欠な要素になると考えています。