[第189号] 時を超えて想いを伝えるホールマーク

富の象徴として、あるいは時代様式を映す鏡として、洗練を極めたヨーロッパの銀器。ヨーロッパにおいて金属工芸は工芸の本流を成し、中でも銀器職人は花形職業とされましたが、本格的な銀器の生産は17世紀フランスから始まります。それは、絶対的権力を盾に芸術王国を築き上げたルイ14世の時代であり、芸術の中心地がローマからパリへと移行した時代でもあります。それまで手掴みで食事をしていたフランス人の間には銀製カトラリーを使用する風習が広がり、また、コーヒー・紅茶などの新たな嗜好品が普及したことから、銀製ポットの生産も本格化しました。当時、銀器を使用できるのは貴族が中心でしたが、食文化の変化も伴い、銀器は次第にヨーロッパ全域へと広がっていったのです。

ヨーロッパの貴族に最も需要の高かった銀器は、料理を彩る銀食器です。晩餐会における絢爛豪華なテーブルコーディネートは、地位と権力を表すステータスでした。一方で、銀食器を使用していたもう一つの理由は、毒殺の防止です。当時、王位継承者に対する毒殺が度々発生していたのですが、料理に青酸カリやヒ素化合物などの毒が混入した場合、瞬時に銀器に黒ずみが発生するため、その異変をいち早く察知できることから、暗殺防止用の器としても重宝されました。銀食器の使用は自身のステータスを表すためだけでなく、晩餐会では相手方に安心感を与えるための、おもてなしの意味合いもあったのです。

フランス革命後(18世紀末以降)、ヨーロッパの多くの地域で貴族体制が崩壊すると、貴重な財として継承されてきた銀器は溶かされたため、当時の銀器はあまり現存していません。当時は職人技よりも、銀の貴金属としての価値に重きが置かれていたのです。そんな中でイギリスでは、王権と貴族制度が一貫して継承されており、銀器は家紋を入れて代々大切に継承されてきたため、当時が偲ばれる貴重な銀器が多数現存しています。またイギリスでは、貴族のみならず産業革命によって富を得た新興階級の実業家たちも銀器をこぞって入手しており、それらの需要に対してイギリスの銀器職人が高いレベルで技術を競い合っていたことも、高品質な銀器が豊富に現存している要因となっています。

ヨーロッパ銀器のブランディングの特徴として、古くは4世紀の東ローマ帝国まで遡る「ホールマーク」制度が挙げられます。ホールマークとは銀器に打つ刻印のことで、誰がいつ製作したか、刻印を見れば一眼で判別できる情報と言えます。イギリスのホールマークは14世紀から法制化され、欧州の他国に比べて違反者への罰則を含め厳格に運用されてきたことが、銀器王国・イギリスの礎となっています。イギリス銀器には主に5つの刻印が打刻されており、①工房名または職人名 ②銀の純度(92.5%以上) ③鑑定場所 ④鑑定年 ⑤徴税確認が判別できるようになっています。これらのホールマークを識別するために、刻印の内容を網羅した書籍「ホールマークガイド」が販売されており、世界の銀器愛好家の必須本となっています。

ホールマークから読み解く年代や職人などの来歴から、当時の時代背景や生活風習などを想像することが、アンティークシルバーの魅力。玉川堂も次の100年を見据え、創業200周年事業の一環として、2016年4月製作分より「玉川堂ホールマーク」を導入しました。それまで製品には、屋号の「玉川堂」のみの打刻でしたが、それに加えて製作年の「干支」、制作を担当した「職人の名前の一文字」も打刻し、いつ、誰が製作したのかを一目で判別できるようにしました。お客様のもとへ旅立った銅器は、時に修理品として再び玉川堂へ戻ることもあります。当時の製作担当の職人が分かることで、修理の際の大切な情報として活かすことができ、ホールマークは時を超えて職人の想いも伝え、現在の職人と未来の職人の心の架け橋となります。「打つ。時を打つ。」の玉川堂ブランドメッセージには、ホールマークと共に世代を超えて銅器を受け継いで欲しいという願いも込めているのです。