[第186号] 人間の美のあり方を問う

「生活に必要なものこそ美しくあるべき」。芸術と生活の統一化を理念に掲げ、「アーツ・アンド・クラフツ運動」を展開した近代デザインの父・ウィリアムモリス。産業革命によって機械化大量生産、大量消費の時代へと移行した19世紀イギリスにおいて、経済は飛躍的な発展を遂げる一方、安価な粗悪品が市場に溢れ、人々は精神的な豊かさを失いつつありました。職を失った職人たちは機械工場での労働を余儀なくされていたことから、モリスは「真の芸術とは、人間が労働に対する喜びを表現することである」とし、職人の手仕事から生まれる自由な発想、つまり、職人の人生経験から生まれる感性こそが美を生む源泉であり、人々の生活を豊かにすると説きました。

アーツ・アンド・クラフツ運動から約50年後、日本でも工業化が進み、日本各地の手仕事が失われつつある時代に、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らした柳宗悦は「民藝運動」を展開し、日常雑器=民衆的工藝品 (民藝)を通して、日常の暮らしに宿る美しさを追究します。宗悦は、長い年月をかけて多くの人々によって機能性が追求された結果、ようやく辿り着いた形状を「用の美」と表現。それを、無駄や迷いのない手早さで、最大限の数量を作り上げることが真の職人であり、「無心で作ることによって、本当に美しいものが生まれる」とし、そのような器に対して、「正常な美」「健康の美」と表現しました。職人に自由な発想や感性は不要であるとし、「無心」こそが美を生む源泉であると説きました。

アーツ・アンド・クラフツ運動も民藝運動も、その根底には、産業革命によって物質的な豊かさを得た反面、精神的な豊かさを失った近代社会への抗議活動であり、「人間の美のあり方を問う」運動であるという共通項があります。しかし、アーツ・アンド・クラフツの直訳は「芸術と工芸」であるのに対し、民藝は「民衆的工藝」であることからも、両者の思想は異なります。つまり、工芸の作り手はアーティストを目指すべきか、それとも職人を目指すべきかの相違点があり、前者は個性を最大限に表現する立場を取ることに対し、後者には個性の表現は求めない立場を取っています。しかし、テクノロジーの進化によって作り手のあり方も変化しており、根底は職人でありつつも、独自の感性に根付いた個性、すなわちアーティスト目線も持ち合わせる必要があります。昔、工芸は生活必需品であり、生活を便利にするための道具でしたが、今は、職人自らの目で美を見つけ、その美意識を道具へ表現する時代です。

私は、両者の思想を取り入れていくことが必要であると考えています。共通の思想「人間の美のあり方を問う」とは、「職人の生き方を問う」ことに繋がります。例えば、急須の感触や心地という感受性の追求、注ぎ口から流れる湯の細い軸跡の美しさの追求など、お茶を淹れて飲む行為から享受する豊かさを、どう表現するか。職人とは生活を豊かにし、美しく生きるための「新しい生き方の提案」を行うという役割があり、後世に「美しい生き方を繋ぐ(時を繋ぐ)」ことが私たち玉川堂の使命です。銅器はお客様から愛着を持ってご使用されてこそ、美しくなります。そのためには職人の技術と感性の両面の表現力が求められ、お客様と職人の距離を縮める流通体制の変革も不可欠であり、それが私たちが直販を貫く理由です。「幸福の秘密は、職人が日常生活の細部に関心を持つこと。工芸は私たちの休息を豊かなものにする(モリス)」、「器と人との相愛の中に、工藝の美が生まれる(宗悦)」。両者の言葉に、銅器の未来、工芸の未来があるように思えます。

玉川堂ブランドメッセージ「打つ。時を打つ。」 ブラントテーマ「時」 ブランドコンセプト「時と共に成長する。未来に価値を置く。」 玉川堂ブランドフィロソフィー「流行に応えることは、私たちでなくても出来る。生き方を問うことは、私たちだから出来る。」。これらを総称して玉川堂ブランド体系(理念体系)とし、玉川堂の存在意義と価値観を掲げました。「時」と「生き方」には、職人と銅器、銅器とお客様、お客様と職人の関係を表しています。「時」とは何か。「生き方」とは何か。玉川堂はこの問いを胸に、お客様へ「新しい生き方の提案」、そして「美しい生き方を繋ぐ」ことを使命に、両者の共通の思想である「人間の美のあり方を問う」ものづくりを行っていきたいと、心新たにしております。