[第184号] 最も美しい村

フランスにおける地方自治体は、中世中期の教会区を起源とする約38,000の基礎自治体「コミューン(市町村)」です。国土は日本の約1.5倍ですが、コミューンは日本の約10倍存在し、その内の約90%が人口2,000人以下という極めて小規模な行政単位となっています。コミューンの中心部には、城塞や教会などの歴史的建造物がそびえ立ち、その周囲に古民家が点在する集合景観を成しており、中世の美しい街並みが時を重ね、人々の生活風習と共に息づいています。そして、国土の半数が農地というEU最大の農業国であるフランスの中でも、葡萄畑が一面に広がる大地は、ワイン醸造が開始された約2000年前へタイムスリップしたかのような原風景があり、その土地のワイン生産者を訪ね、その生産者のオーベルジュに宿泊するワインツーリズムも盛んです。

このように観光名所や有名ワイナリーが存在するなど観光資源が豊かな村は、財政基盤が盤石な傾向にある一方で、産業や観光資源の乏しい村は行政基盤が脆弱であり、特に1980年代以降は、そうした村の統廃合が進みました。そこで、今ある地域資源を活用して自立した村づくりを目指し、世界中から観光客を集客すべく設立されたのが「フランスの最も美しい村」協会です。1982年、フランス南西部のコロンジュ・ラ・ルージュ村の村長の発案で、官民が一致団結して地域資源の美化運動と観光化への取り組みを開始しました。現地に住んでいないと分かり得ない景勝地、そして、食堂やオーベルジュなど、地域で暮らすように旅をするスタイルは次第に評判を呼び、観光立国フランスに一石を投じるプロジェクトへと成長していきます。

その後、協会へ加盟希望する村が続出したため、地域ブランドの信頼性と正当性を維持するために、3つの選考基準が設定されました。①人口2000人以下で、②保護・登録された2つ以上の建造物か遺跡があり、③村議会で承認が得られていることです。現在は約160の村が加盟しており、小さな村の原風景や地域に根付いた生活の営みそのものが外国人観光客にとって新鮮味に溢れ、「最も美しい村ツアー」は、世界中の旅行会社の人気ツアーとなっています。成功した背景には、教会を中心とする村民の共同体としての意識の高さが挙げられます。地域への愛情がそのままホスピタリティーとして現れ、観光客の満足度に繋がっているのです。

フランスの「最も美しい村」は、模範的成功事例として、イタリア・ベルギー・スペイン・日本にも広がり、5カ国で世界連合会を結成。世界会議などを通じて情報交換を図り、国別の地理的・文化的な特徴の相違を越え、共通の目的と手法で運営されています。日本は2005年、北海道美瑛町を中心に7つの町村から発足し、現在は全国63の町村が加盟しており、私も加盟している村を幾つも訪問してきました。特に訪日外国人は、日本の文化や風土に根差した各地域の人々の暮らしに触れ、五感を刺激する非日常の体験を求めており、アフターコロナを契機に、加盟する行政は今後も増加していくものと思われます。

「観光は人間の本質的な喜び」と定義した観光学者・鈴木忠義氏(故人)が残した文章を紹介します。「小さな子供がバスや電車に乗ると、すぐに窓を見たがります。その好奇心や探究心は観光の原点に通じるものがあります。人間が本来持つ好奇心や探究心に応え、人間の喜びや生きがいに資することが〈観光〉の本質です。人間の生活には経済基盤が無いと困りますが、経済はあくまで手段であって、真に求めているものは〈喜び〉や〈生きがい〉なのです」。「最も美しい村」には、心の底から喜びや生きがいを感じる、まさに観光の本質そのものを体現しています。地域の原風景や地域に根付いた人々の営みなど、地域に流れる「時」を体認することは、現代社会を生きる上において、必要不可欠なことなのかもしれません。