[第172号] 松下幸之助が大切にした生き方「素直な心」

  「松下電器は人を作るところでございます。あわせて商品も作っております。電気器具も作っております」。松下幸之助の経営哲学の中で、「人」が第一にあることを端的に表現している名言です。その想いを後世へ継承すべく、私財を投じて松下政経塾を立ち上げ、政治経済における人材育成のみならず、当時の日本の工芸家育成にも尽力しました。重要無形文化財保持者(人間国宝)を中心に組織する公益社団法人「日本工芸会(現総裁=佳子内親王)」の役員として長年に渡り貢献され、晩年には栄誉会長へ就任し、会の公募展では「松下幸之助記念賞」を設置。また、工芸家育成の基金として日本工芸会へ多額の寄付を行うと共に、工芸家の作品を積極的に購入して自身の茶室で収蔵するなど、日本の工芸界における最大の支援者でもありました。

 松下幸之助は、1894年(明治27年)和歌山市出身で、8人兄弟の末っ子。1918年(大正7年)23歳の時、妻と義弟・井植歳男(三洋電気創業者)の3名による「松下電気器具製作所」の創業を契機に年々事業を拡大させ、1935年(昭和12年)40歳の時、「松下電器産業株式会社」へと株式会社組織とし、従業員約3500名の電気器具の国内有力メーカーへと成長していきます。そして1937年(昭和14年)、各界著名人との交流を深めていく中で、茶の湯を初めて体験し、「日本古来の歴史と伝統によって育まれた茶の湯には、限りなく先人の教えが含まれている」と考え、茶の湯の世界に陶酔。多忙を極める日々でも、「心の安らぎを覚え、私の精神生活に欠かせないものである」と、お茶を立てる習慣は欠かさずに行っていました。

 1961年(昭和36年)、66歳の時に社長を退き、会長へ就任。京都・南禅寺近くに、念願であった茶室と庭園「松下美術苑・真々庵」を設け、国内外の賓客が訪問した際は、収蔵した工芸品を紹介しながらお茶を立て、細やかな心遣いでおもてなしをしたとのこと。現在はパナソニックの迎賓館として活用されており、松下幸之助の精神が受け継がれています。さらに、1970年(昭和45年)の大阪万博「松下館」では、「茶道は日本が誇りを持って外国人に贈り得る大切な民族文化の一つである」と、日本の最先端技術の紹介と共に、日本の伝統と精神文化を伝えるべく茶室も設けました。そこには、国内外の来場者へお茶でおもてなしをすることで、日本のものづくりの源流にも触れて欲しいという願いが込められていました。

 松下幸之助の経営哲学の一つに「素直な心」があります。「素直な心になって自然の理法に従っていれば上手くいく。世の中は成功するようになっている」とし、逆に素直な心ではない時、人間は必ず行き詰まると説きました。さらに、集団行動であれば人間関係の軋轢は付き物ですが、「人間には、もともと素直な心になる素地があるということを認識することである。素直な心になることを常に心がけ、自分なりに工夫を凝らせば、誰もが素直な心になれる」とし、誰に対しても受け入れ、学ぶ謙虚さを持つことが、人や組織を成長させるために必要不可欠なことであることも説いています。そして、「お茶の心は素直な心にあり、素直な心無くして茶人にはなれない」とし、茶の湯と経営哲学を結びつけた茶人経営者でした。

 「伝統工芸は日本のものづくりの原点である」。人間そのものに関心の高かった松下幸之助は、自然素材からモノを生み出す工芸家にも興味を持ち、多くの工芸家から、ものづくりへの想いや精神を積極的に学ぶ姿がありました。当時を知る工芸家の話では、その謙虚に学ぶ姿勢に感銘を受けたそうです。伝統工芸への造詣が深まるにつれ、電球ソケットから始まった自身のものづくりと伝統工芸の精神を重ね合わせ、「大量生産品であっても手に取ってみると、手技を駆使した工芸品の如く、精密で正確なものを作らなければならない。」と語り、日本のものづくりの精神を常に意識し実践していました。「素直な心」無くして、人を惹きつけるモノは生まれず、素直な心を常に意識した生き方が求められます。松下幸之助が大切に育んできた精神を受け継ぎ、後世へしっかりと伝えていきたいものです。