[第169号] 逆風を逆手にブランディングへ導いた、 マダム・クリコ

シャンパンの生産地であるフランス・シャンパーニュ地方において、シャンパン生産者は「メゾン(フランス語=家)」と称され、家族経営などの小規模生産者を含めると、約5000のメゾンが存在します。その内、大手生産者は「グラン・メゾン」と称され、「KRUG(クリュッグ)」「Dom Perignon(ドン・ペリニヨン)」などは、その筆頭格として挙げられます。さらに、「Veuve Clicquot(ヴーヴ・クリコ)」「POMMERY(ポメリー)」「BOLLINGER(ボランジェ)」も、シャンパーニュ地方を代表するグラン・メゾンですが、この3メゾンは、いずれも跡を受け継いだ女性経営者の活躍によって、世界に名だたるメゾンへと成長し、シャンパーニュ地方を世界的な地域ブランドへと築き上げた立役者でもあります。中でもヴーヴ・クリコの経営者マダム・クリコ(1777〜1866)は、フランスのみならず、世界市場においてもビジネスウーマンの先駆けとされ、その功績を讃える動きは時代と共に高まっており、大きな存在感を示しています。

ヴーヴ・クリコの創業は1772年。銀行や紡績業などを営んでいた初代フィリップ・クリコは、多角化経営の一環としてシャンパン事業を開始。その卓越した経営手腕によって有力メゾンとして頭角を表し、2代目の経営は、長男のフランソワ・クリコへ託しました。しかし1805年、シャンパン事業に情熱を燃やしていたフランソワが、跡を継いだばかりで急逝。この年は、シャンパーニュ地方の葡萄の出来が最悪のレベルとなり、さらにナポレオン戦争の真最中という、極めて悪化した経済状況。絶望の淵に立たされた初代フィリップは、長男の死を契機に、シャンパン事業の廃業を検討します。この意気消沈の中、立ち上がったのがフランソワの妻のニコル・クリコでした。創業者である義父の功績を讃え、そして亡夫の遺志を継ぎ、事業承継の覚悟を決めます。当時27歳の大決断でした。しかしながら、フランスはおろか、世界中が男尊女卑の時代。女性がメゾンを経営するのはニコル・クリコが初めてとあって、周囲からは「無謀、無礼」など多くの非難を浴び、大きな逆風の中苦難の事業再スタートが始まります。

事業承継にあたっては、シャンパン事業を義父が経営する銀行や紡績業などの事業とは切り離し、メゾン名は「ヴーヴ・クリコ」へと変更。大胆にも、未亡人(ヴーヴ)であることをメゾン名に組み込み、そし1816年、「ルミアージュ(動瓶)」を開発。ルミアージュとは、ボトルを逆さまに傾けることによって、澱(おり)を瓶口に集める手法であり、現在、全てのメゾンで活用されている世紀の大発明です。それまでのシャンパンは、殿が混じった濁りのある発泡性ワインでしたが、1816年以降は、透明感ある発泡性ワインへと変貌し、泡立ちの美しい気品の溢れるシャンパンが流通されるようになったのです。

前例や習慣を打ち破り、シャンパン業界に革命を起こしたマダム・クリコ。以降、ヴーヴ・クリコの歴代当主は、マダム・クリコの精神を受け継ぎ、世界に名立たるグラン・メゾンへと成長していきました。1972年、ヴーヴ・クリコは、創業200周年記念事業として、「ラ・グランダム(偉大なる女性)」と称されたマダム・クリコの功績を讃えると共に、起業家精神と多様性を持つ世界の女性リーダーの功績を讃える「ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード(現:ボールド ウーマン アワード)」を創設。これまでに世界27か国、350名以上の女性リーダーが表彰されました。マダム・クリコがそうであったように、未来を切り開く勇気と革新の精神を持ち、その経験の蓄積を英知に変え、それを次世代への勇気と情熱に変えていく女性リーダーの表彰制度は、今や、世界が注目する事業となっています。

 今年2022年、創業250周年を迎えたヴーヴ・クリコ。世界主要都市で開催されている記念事業「太陽のように輝く250年の軌跡」は、先月7月、東京(神宮前)で巡回展が開催されました。現代アートの巨匠・草間彌生氏をはじめ、世界を代表する10名の女性アーティストたちが一堂に会し、マダム・クリコを想像して製作されたアート作品や、ヴーヴ・クリコの伝統をイメージして製作されたアート作品などを展示。会場は前衛性と革新性に包まれ、マダム・クリコの軌跡を辿り、ヴーヴ・クリコのブランドイメージを五感で感じられる刺激的な巡回展でした。ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(受容)の観点から、性別・年齢・障害・国籍などの属性に関わらず、それぞれの個性を尊重して認め合い、多様な価値観の中で「働く」ことがスタンダートとなった現代社会。ヴーヴ・クリコ創業250周年を機に、多様性を認め、受け入れて活かすことの大切さを、あらためて体感した次第です。