[第161号] 日本の工芸を豊かに紡ぐ干支文化

 干支は「十干十二支(じっかんじゅうにし)」の略であり、約3000年前の古代中国の思想や易にその起源を見ることができます。現代の日本において干支は、12年を1周期とする十二支のみを取り扱う風潮にありますが、本来干支とは十二支に加えて十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)を組み合わせ、60年を1周期としています。この60年1周期は、60歳で干支が一周するため、還暦のお祝いが慣例として今に続いていますが、その年の干支を様々な名称に使用する風習もありました。古くは飛鳥時代672年の干支「壬申」に起きた壬申の乱、明治元年の干支「戊辰」は戊辰戦争、大正13年の干支「甲子」に竣工された甲子園球場などがその代表的な例です。また書や工芸品にも、作者によっては作品もしくは桐箱に干支を記す習わしがあり、干支が記されているものは作品の年代が特定でき、骨董品鑑定の手がかりにもなります。

 十二支の漢字は、もとは年・月・日など時の表示を語源としており動物とは無関係でしたが、江戸時代に入ると暦を理解しやすくするために動物を当てはめ、以降十二支の漢字が今に伝わっています。江戸時代までの時刻は、日の出を「卯」、南中を「午」、日の入りを「酉」など一日を12分割していましたが、明治時代に入ると、昼12時を「正午」とし、午の刻の前は「午前」、午の刻の後は「午後」という表現に改められました。この干支の文化は、中国と日本以外にもアジア圏を中心に様々な国々で見られ、モンゴル帝国の影響を受けたロシアやイランなどにも広がっています。十二支が12の動物から成り立っていることは各国共通ですが、動物の種類に関しては国ごとに若干の違いがあり、代表的な例として、中国と韓国では「亥」は「豚」、タイとベトナムでは「兎」は「猫」として伝わっています。

 日本の伝統工芸において、十二支の図案や置物は古くから作られてきたアイテムです。主に平安時代に製作された正倉院宝物には、十二支に関連した工芸品が複数現存しており、当時の干支の図案や技術力の高さに驚かされますが、本格的に干支製品が製作され日本人の生活の中に干支の文化が定着し始めたのは、江戸時代中期とされています。その年の十二支にちなんだ製品を玄関や居間に飾り年神様をお迎えする風習が生まれ、その後時代に応じて動物の図案や表情は変化していますが、中でも明治は動物の表情に大きな変化が生まれた時代でした。鎖国が解かれ明治政府が誕生すると、殖産興業政策の重要な一環であった工芸品は絢爛豪華な海外博覧会用のものへと変化し、特に明治20〜30年代の輸出工芸の全盛期の作品は、超絶技巧と称されるほど勇ましく堂々たる動物のモチーフが主流となります。しかし輸出工芸が衰退した明治40年代以降は、馴染みやすくユーモラスな表情をした動物のモチーフが主流となり、人々の生活の中に工芸品が一層溶け込むようになります。

 ユーモラスな表情をした動物と言えば、何と言っても平安〜鎌倉時代にかけて描かれた「鳥獣戯画」の存在無しには語れません。日本最古の漫画とされ、日本は世界的に見ても古い時代から戯画の伝統を持つ国です。江戸時代には、広重・国芳・暁斎という浮世絵を代表する人物が、猫をモチーフとした愛嬌たっぷりの戯画を次々と描き、戯画ブームが起こりました。その極め付けは「北斎漫画」の登場です。動物だけでなく、人物も喜怒哀楽様々な表情を描き、その表現力と描写力は極めて秀逸で、ある種日本の美術史上最高傑作の一つと言えるかもしれません。明治40年代以降の十二支製品の表情にも北斎漫画の影響が色濃く残り、さらにはゴッホやモネなど西洋の巨匠にも大きな影響を与え、ジャポニスムを象徴する作品としても存在感を示しました。弊社の明治時代(玉川堂4代目)の図案にも、北斎漫画を連想させる図案が残っていますが、現在の伝統工芸界に与えた影響は計り知れません。

 日本人は古くから動物に宿る神秘的な力を信じてきましたが、その信仰と十二支が結び付き、年末になると十二支製品を求める風潮が300年以上も前から続いています。動物をユーモラスに表現することによって、日本の工芸にも多様性が生まれ、職人たちの感性を磨く機会にもなりました。今年2021年の干支は、組み合わせ38番目「辛丑(かのとうし)」、来年2022年の干支は、組み合わせ39番目「壬寅(みずのえとら)」です。「辛丑」は辛(枯れた状態、種を大地に還す)、丑(硬い殻から破る状態)。そして「壬寅」の壬(次の生命を育む)、寅(春の胎動)であり、厳しい冬を乗り越え、華々しく再起する年となります。まさにアフターコロナを予感させるような干支です。毎年12月13日は、正月の準備を始める「正月事始め」。すす払いや松迎えなど、13日から始めて28日までに終えると、良い年を迎えることが出来るとの言い伝えがあります。コロナ禍の収束へ向け、長いトンネルの先に光を探して歩む今を「辛丑」と捉え、来年の「壬寅」に込められた再起への祈りを込め、干支飾りを飾ってみてはいかがでしょうか。