[第160号] 生活文化としての書道を見直す

先月10月15日、「書道」を登録無形文化財として登録する答申が、文化審議会から文部科学大臣へ提出され近く正式登録されますが、これを各メディアがトップニュース級の報道として一斉配信したことから、大きな話題となっています。それまで無形文化財登録には「芸能」と「工芸技術」の2つの分野が対象とされていましたが、より幅広い日本の伝統文化を対象とすべく、今年6月、新たに「生活文化」が新設されました。さらに、既存の指定制度より基準が緩やかな「登録制度」が設けられ、この生活文化と登録制度に初めて「書道」が選定されました(同時に「酒造り」も登録)。衰退している書道の伝統文化の保存と次世代への継承に向けたこの度の登録無形文化財への登録ですが、次展開としては、ユネスコの無形文化遺産への登録を目指しています。登録に向けた推進事業を官民連携で実施しており、日本が誇る「生活文化」である書道の次代への継承に向けて今、大きなうねりが起きつつあります。

書道は、弥生時代に中国から漢字が伝来したことによって始まったとされ、その後仏教の伝来と共に写経が行われ、書家も誕生したことから、書くだけでなく観て楽しむ文化も育まれました。しかし、近年はパソコンの普及など生活様式の変化により、筆で文字を書く機会は極めて少なくなっており、書道人口は減少の一途を辿っています。伝統的工芸品である筆・墨・硯・紙のいわゆる「文房四宝」は、全国で16産地の指定を受けていますが、書道人口の減少と比例するように生産量は減少しています。中でも1000年以上の歴史を持ち、墨の全国シェア95%以上の「奈良墨」は、書道人口減少に加え墨汁の台頭によって、生産量は50年前から比較し30分の1と著しく減少しており、まさに存続の危機となっています。私は長年「奈良墨」を愛用していますが、墨の優れた伸び、鮮やかな色、リラックスする香りなど、墨汁とは全く違う触感。書道愛好家であれば奈良墨は必需品だけに、書道の登録無形文化財を契機に、さらなる産地活性化を期待したいものです。

とは言えここ最近、コロナ禍における巣ごもり需要の拡大により、書道人口は回復傾向にあるとされ、今改めて書道に注目が集まっています。文化庁による令和2年度報告書によると、書道を始めた理由として、「字をきれいに書けるようになりたい」の回答に次いで「自分なりの文字の表現を楽しんでみたい」「集中力を高めたい、 心を落ち着けたい」の順となっており、混迷する世の中にあって、気を整え自分自身を見つめ直す契機として、書道を始める方も多いようです。書道は心の浄化とも言われ、書に集中することで心の乱れを整え、精神の統一を促します。古来より書道は、仏教の経典を書写(写経)する、いわゆる修行を目的として行われてきましたが、紙に向かって文字を写すことによって邪念を払い、本来持っていた心の安定を取り戻し、清らかな自分の心に気付く機会となります。また我を無くすことも書道には大切な心得であり、手の力で書くのではなく、身体の流れで書くことが大切です。

弊社では50年以上前から、月に数回、終業後に書道教室を実施しており、現在は若手職人が中心となって書道を学んでいます。金鎚から筆に持ち替える瞬間は、新たな創作のエネルギー、「気」を生みます。弊社の書道教室では、仕事時間外で製作した職人の個人作などを入れる桐箱に品名や名前を書くこともあり、実務的な目的もありますが、主目的は気を整えることに加え、美的感性を向上させることにあります。書道は白と黒のみで構成され、いわば余白の美を追求する芸術。書道とは、白と黒のバランス感覚の追求であり、余白の重要性を学ぶことで美的感覚を養うことが出来ます。さらに、文字の美しさは上下左右のバランスによりますが、案外画数の少ない文字ほど難しいもので、このバランス感覚を養うことは造形認識能力の向上にも役立ちます。そして、書道をする時は正座、又は椅子に正しく座っての執筆となり、乱れた姿勢では良い文字は書けず、これは銅器の製作姿勢でも同様です。書道によって作業姿勢の正しさへの意識も高まり、これは作業効率向上だけでなく健康増進にも繋がるため、「健康経営」にも寄与します。

中国・漢王朝時代の揚雄(ようゆう)は「書は心の画なり」との名言を残しています。文字は書いた人の心を映し出す絵である、という意味であり、日本では古くから「字は体を表す」という格言が今に伝わっています。また、小説「雪国」で知られる川端康成は「書は老いと共に良くなりこそすれ、悪くはならない。そこが東洋の芸術としてのありがたさである。」との名言を残しており、書の得手不得手といった手筋や技術的な面とは別に、その人の性格や人間性、そして年輪が如実に表れ、人生経験の積み重ねが文字の味わいを醸し出します。年齢と共に肉体が衰えていくこととは正反対の現象であり、晩年まで趣味として楽しめる芸術と言えるでしょう。時代が大きく変化し続けても、古来より変わらず社会の基盤として存在し続けてきたのが文字であり、書道は日本文化として大切に継承されてきました。進化著しい今のグローバル社会だからこそ、日本文化の学びが重要度を増していき、日本人なら誰もが経験したことのある書道は、その最たる文化と言えます。日本人がグローバル社会の中で存在感を示し、そして人間らしく豊かな人生を歩むためにも、書道は今までも、そしてこれからも、日本人の「生活文化」であり続けていきたいものです。