[第151号] 美しさの妙に隠された 二八の法則

 「全体の数値の大部分は、その全体を構成するうちの一部の要素で生み出されている」。19世紀末、イタリアの経済学者パレートが発見した寡占に関する法則「パレートの法則」です。母国イタリアの国土の2割に8割の人が住んでいることや、ヨーロッパ諸国の所得や資産を分析したところ、どの国も上位2割の人々が国民全体の8割の富を専有していたことが判明。以降、2対8の法則性が様々な分野に見出されたことから、「二八の法則」とも呼ばれています。総売上の8割は、全商品のうち2割で生み出している。交通量の8割は、道路の2割に集中している。日常着ている服の8割は、お気に入りの2割で使い廻している。蕎麦が最も美味しくなるバランスは、蕎麦粉が8割、小麦粉が2割の二八蕎麦。このように、近年、「二八の法則」は様々な分野で応用されており、その法則性に当て込んだ書籍もバラエティーに富み、とても興味深いものがあります。

 日本では日本画や日本庭園など、余白を作品の一部として楽しむ風習があり、古くから「余白の美」と表現しています。何も無い白=「余白」には、何も無いのではなく、観る人が想像することによって、無から有を生む世界観と言えるでしょう。この「余白」を楽しむ感覚は日本人独特のものとされており、観る人の感覚の違いもありますが、「黒2割:余白8割」のバランスが最も美しく見えるとされ、日本の文化である余白の美にも「二八の法則」が成り立ちます。一方、料理の世界でも「二八の法則」が確立されつつあり、日本のフレンチやイタリアンの業界でも余白の美を追求し、やや大振りの白地の皿にスモールポーションの料理を乗せるスタイルが定着。「料理2割:お皿の余白8割」のバランスが、最も料理が映える比率とされます。

 「余白の美」の概念が生まれたのは、安土桃山時代であると考えられます。千利休の屋敷に、朝顔が鮮やかに咲き乱れていると耳にした豊臣秀吉は、絶好の機会であると茶会を切望。しかし、豊臣秀吉が千利休の屋敷を訪れると、全ての朝顔は刈り取られていたが、茶室には一輪の朝顔が生けてあった。かの有名な逸話「一輪の朝顔」です。絢爛豪華が持てはやされていた安土桃山時代に、千利休の美的感覚は卓越しており、千利休の愛した「侘・寂」は日本人の美的感覚に脈々と根付いていきます。江戸時代に入ると、狩野探幽が絢爛豪華な桃山絵画を一変し、余白を広く取る新たな絵画様式を確立させ、以後、狩野派の画人らによって、余白の美が表現された名作が次々と生まれていきます。その後、時代の変遷を経て、日本人の美意識によって余白の美しさのバランス「2対8」が構築されたと考えられます。

 伝統工芸の世界でも、ある種の二八の法則が400年以上前から伝わっています。「一楽、二萩、三唐津」と評され、東は「せともの(瀬戸)」西は「からつもの(唐津)」と、日本を二分する焼き物の産地・佐賀県の唐津焼です。唐津地方の特徴でもある、粗目の堅い土を活かした素朴な風合いが唐津焼の最大の魅力。その素材としての特徴を生かすべく、唐津焼の産地には「作り手八分、使い手二分」という格言が各工房の家訓として継承され、ものづくりが行われています。作り手が8割だけ完成させ、使い手のために2割の余白を残して製作するという考え方であり、器は使い勝手良く使われてこそ10割の達成、真の器の完成である、という哲学です。作り手は料理を盛り付ける人のこと、お茶を淹れる人のこと、花を生ける人のことを考えて器を製作すべき、というものづくりの考え方は、今、私たち伝統工芸業界における、ものづくりの本質にもなっています。

 玉川堂の鎚起銅器は、道具に愛着を持って毎日使い乾拭きすることで、色合いに深みと光沢が増し、数十年と使い込むことで濃艶なる美しさを発します。玉川堂の職人が銅器を製作し、最後に着色を施すと玉川堂としての銅器の作業は終えますが、着色を終えた段階ではまだ未完成である「未完の美」。お客様へお渡しした銅器の完成度は8割、そこから長い年月をかけ、残りの2割はお客様ご自身が育て仕上げていくのです。玉川堂コーポレートスローガン「打つ。時を打つ。」は、職人が打つだけでなく、お客様も時を打つ、という想いを込めており、器の成長を日々感じながら「時と共に成長する、未来に価値を置く。」ことをブランドコンセプトとしています。職人が丹精込めて作った銅器は、お客様の手に渡った瞬間から真の銅器の完成に向け、お客様と共に長い人生の旅が始まるのです。