[第147号] 感染症の歴史に学ぶ、創造的休暇の考え方

 新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るう中、カミュの代表作「ペスト」(1947年)が世界的なベストセラーとなっています。1940年代、フランス領アルジェリアの港町オランが舞台となり、感染拡大を防ぐため外界から遮断された街で、ペスト菌という見えない敵と戦う医師やその友人らの群像劇を通し、不条理に直面した時に示される人間の様々な行動を克明に記述。70年以上前に刊行された作品にも関わらず、現在の新型コロナウイルスを巡る現状と恐ろしいほど重なり合います。ペストは6世紀以降、3度の大流行があり、中でも17世紀に流行したペストは感染症史上最悪とも言われ、ヨーロッパ人の3分の1以上がペストで亡くなったとされています。特に1665年、ロンドンを中心としたイギリスでの流行は最も深刻な被害とされ、ピーク時にはロンドン市内だけで、1日に約6000人が死亡する大惨事となりました。

 イギリス科学の父と称されるニュートンは、この1665年当時、ケンブリッジ大学に在籍していました。しかし、世界に類を見ない感染症の拡大は深刻で、大学は一時閉鎖することになり、止む無くイングランド東部・リンカンシャー州の実家へ帰省することに。以降、休暇による自宅待機は18ヶ月間という長期に及びましたが、大学では研究に割く時間は限られていたため、今こそ夢を叶えるための休暇であると前向きに捉え、休暇をフル活用すべく全身全霊で研究に没頭します。そして、この時に得た成果が「力学理論と万有引力の法則」「流率法(微分積分法)」「光学理論(プリズムの分光実験、光と色の理論)」の着想です。これらはニュートンの三大業績であり、生涯における重要な研究のほぼ全てを、この休暇中に成し遂げたのです。

 このニュートンの18ヶ月間の休暇のあり方は、後世に広く語り継がれ、後に「創造的休暇(クリエイティブ・バケーション)」と呼ばれるようになりました。ニュートンにとって18ヶ月間の休暇は、天から与えられた熱中時間=創造的休暇だったのです。さらに、イギリスの劇作家・シェイクスピアも「創造的休暇」を活かして名を馳せた人物です。ペストの影響でパンデミックとなり、演劇業界は壊滅状態に。安定した仕事が無い状況下、シェイクスピアは自宅での休暇を余儀なくされましたが、この休暇中に書き上げたのが「オセロー」「リア王」「マクベス」の3作品です。シェイクスピア4大悲劇のうち、実に3作品を休暇中に完成させており、「マクベス」の有名な台詞「明けない夜は無い」は、現在のコロナ禍において、頻繁に使用されるフレーズにもなっています。

 ニュートンとシェイクスピアにとって、パンデミックという通常の社会では無い逆境と時間的余裕が、チャレンジ精神や柔軟な思考を生む源泉となり、その後の業界を大きく変革させました。感染症に伴う自宅での休暇は、今までの日常のルーティンから外れることで人間の感覚を研ぎ澄ませ、非日常な時間と空間になります。ある種の空想的・妄想的期間であるとも言えるでしょう。このコロナ禍において、世の中は新しい生活様式となり、自宅で過ごす時間が増えています。「創造的休暇」の逸話がコロナ禍と重なり、今、私たちがこの貴重な時間をどう過ごすかによって、これからの私たちの人生、そして世界が大きく変わることを、ニュートンやシェイクスピアが現代へ語り掛けているかのように思えます。

 ペスト収束後のヨーロッパは、ルネサンスを迎えました。中世とは全く異なる人間観や世界観が生まれ、個性と才能を発揮できる社会へと変化し、時代は近代へと移行します。ルネサンス運動は、芸術、思想、科学技術など様々な面で展開されましたが、 その本質は神の国から人間本位への転換にあり、常に感染症における死と隣り合わせだったことから生じた、民衆の心の変化に起因します。感染症の歴史を遡ると、パンデミックの後は大きなイノベーションが起きています。感染症は恐ろしい、忌まわしいことである一方、それに伴う社会生活の変化によって、世界の見え方が変わり、新しい時代と未来が待ち受けていることは、過去の感染症の歴史が証明しています。一人一人が高い志で「創造的休暇」を過ごし、アフターコロナの新時代を構築していきたいものです。