[第136号] 日本資本主義の父・渋沢栄一に今学ぶべき事

今年、最も注目された歴史上の人物は、日本資本主義の父・渋沢栄一ではないでしょうか。4月に新元号「令和」が発表された直後、2024年度から発行される新一万円札の新しい顔に渋沢栄一の採用が発表されると、瞬く間に時の人に。マスコミ各社はこぞって渋沢栄一を特集し、さらに今年9月には、2021年のNHK大河ドラマにおいて渋沢栄一の生涯を描く「青天を衝け」の放映も発表されました。大河60作目となる歴史の中で、経済人の主役は初めてという異例の抜擢です。日本は約300年の鎖国期間の後、世界に類を見ないハイスピードで近代国家としての経済力を構築してきましたが、牽引役となった中心人物の一人が渋沢栄一であり、その多大なる功績を見直す機運が高まっています。

1840年、現・埼玉県深谷市の豪農に生まれた渋沢栄一は、江戸遊学の際に縁あって15代徳川慶喜に仕えることとなり、1867年開催のパリ万国博覧会の日本代表団の随行員としてパリへ派遣されました。現地で1年半滞在し、万博事業のかたわら銀行業や会社組織のあり方など、欧州の先進的な経済の仕組みに衝撃を受け、この時の学びが、渋沢栄一のその後の人生観を大きく変えることになります。帰国後、明治政府に加わり、国立銀行条例の起草に参画。この条例に基づき1873(明治6)年、日本最初の銀行「第一国立銀行(現・みずほ銀行)」を設立しました。実体は民間の銀行であり、資本金の3分の1は公募で賄ったため、第一国立銀行は日本初の株式を採用した会社となり、頭取は渋沢栄一が就任しました。

さらに1878(明治11)年、東京証券取引所の前身である東京株式取引所を設立。会社設立や起業支援などにも尽力し、設立に携わった企業数は約500、そして、大学や病院などの非営利団体の設立にも約600団体関与しました。後に上場企業や名門大学へと成長した組織も多く、現在の日本経済の礎を築いています。それらの渋沢栄一が関わった企業は、株式会社の形態を採用し、広く民間から出資を募って大企業へと成長しました。当時の財閥路線とは一線を画す経営戦略であり、一族で固めずに有能な経営者を積極的に登用し、利益を独占するのではなく、社会へ還元させることが国全体を豊かにすると考え、一貫して開放的な経営を行いました。

渋沢栄一の根底にある考え方は「道徳経済合一」という理念で、これは、道徳と経済は両立させなければならないという意。当時、公益を追求する「道徳」と利益を追求する「経済」は、お互いが相容れないように解釈されており、いわば武士道と商人道は相反するとされていた時代。利益を生む根源は「仁義道徳」であるとし、経営とは利益を最大化させることが目的ではなく、本業を通しての社会貢献にこそ真の目的があり、また正しい行為から得られた利益でなければ、その会社は永続出来ないと説いています。道徳と経済の両立を社会へ訴え、行動し続けた先駆けの人物でもあります。

最近、企業活動において道徳の必要性や重要性を考えさせられるニュースが頻繁に報道されており、中には先祖代々受け継がれてきた道徳心を失い、不祥事を起こす老舗企業も見受けられます。目先の損得だけを考えるようになると、道徳を忘れがちになるのかもしれません。ピータードラッガーが名著「マネジメント」の序文で渋沢栄一について述べており、経営の神様をして、いち早く経営の本質を見抜いたその眼力を讃えています。紙幣肖像画で経済人が選出されるのは、世界的に見ても異例とのこと。令和時代の紙幣肖像画に選ばれたのは、渋沢栄一から令和という新しい時代へ向けた、「道徳経済合一」の理念を今一度見直すべき時であるという戒めのメッセージでもあると、私自身は捉えています。