[第110号]日本の戦後復興を支えたデミングの品質管理

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦で日本は連合国に敗戦した後、1952年までの7年間は米国の占領下(Occupied)にありました。そのため、その頃日本で作られた製品は「Made in Japan」ではなく、「Made in Occupied Japan」と刻印されており、日本からの輸出品にはその刻印を付けるようGHQ(連合国最高司令官総司令部)から命じられていました。しかしながら、当時のオキュパイドジャパン製品は安物で故障が多く、粗悪品の代名詞とまで言われていました。例えば軍用品の場合、部品の品質や規格のばらつきに起因する故障や、修理の不可等様々な問題があり、品質を一定に保つ事や大量生産することは不可能な時代でした。そんな戦後の焼け野原の中で、日本の製造業が輸出を増大し経済復興を遂げるためには、品質への信頼性を上げる必要があると説いた人物がいました。それがアメリカ人のエドワード・デミングです。PDCAサイクルと呼ばれる品質管理の概念を日本の製造業に浸透させ、戦後復興への大きな原動力を生んだ人物です。彼の出現により、戦後数十年後の70~80年代には、Made in Japanの製品は世界でも最高品質のブランドとして認知されるほど、その品質に於いて目覚ましい進化を遂げることとなったのです。

戦前の経営理論で優勢だったのは、フレデリック・テイラーが唱えていた「科学的管理法」でした。別名テイラーシステムとも言われ、時間と作業効率を科学的に分析・管理し、工場のラインに組み込む大量生産のシステム。経営者や管理職が作業方法を設定し、現場の作業員は決められた作業を確実に実行するというものです。この理論を取り入れ、飛躍的に企業成長を遂げた代表的事例がアメリカの自動車会社・フォードです。フォードはテイラーの理論をもとにフォード生産方式を確立させました。アメリカは世界一の工業国であり、大量生産型がものづくりの王道であったため、陽が当たっていたのはテイラーの理論であり、一方でデミングの理論を受け入れる経営者はほとんどいませんでした。しかし戦後の日本は国を復興させる中で、アメリカでは注目されていなかったデミングの品質管理の理論に着目したのです。デミングの理論は「人間の感性」に訴えており、元来日本人が持つ手技を活かした付加価値の高い製品を作りたいという日本独自の気質がデミングの理論にマッチしたのでしょう。アメリカで日の目を見なかったデミングの理論は、日本で見事に開花したのです。

デミングは管理図法や抜き取り検査法などの「統計的手法」と合わせて、 品質管理の基本的な考え方である「デミングサイクル(PDCAサイクル)」という考え方を日本に伝えました。デミングサイクルとは、1.Plan(計画)→ 2.Do(実行)→ 3.Check(評価)→ 4.Act(改善)のサイクルを廻しながら品質の向上を図り続けることで、4.Actを終えたらすぐに1.Planへと繋げていきます。1.Plan:製作方法を〇〇にすれば機能性が高まるのではないか、との仮説(計画)を立てる。2.Do:Planに沿って試作を行う。3.Check:試作結果を確認する。4.Act:分析して良いところは残す。そして、再度1.Planへ。これをエンドレスに繰り返して渦巻き状に上昇させていく(進化していく)こと、これがデミングサイクルです。このサイクルを廻すのは人間の「感性」です。常に意識的に現状を見極め、工程のより良い改善と品質の向上を念頭に、考え行動し続けるのです。このサイクルを廻し続けるメーカーと廻さないメーカーでは、品質向上(製品向上)に雲泥の差が付くというのがデミングの教え。これらデミングが伝授したことを日本の製造業が吸収し、さらに進化させ、TQC(全社的品質管理)、QCサークル、カイゼン、トヨタ生産方式などが生まれ、日本は世界一高品質な製品を製造する国にとして認知されるようになったのです。

デミングはアメリカの連邦国勢調査局の統計学者で、GHQの要請を受けて来日しました。そこで品質管理に関する講演会を行い、日本の多くの経営者や技術者を前にして品質管理の重要性を説いたところ絶大な反響があり、参加者はこぞってデミングの理論を自社に取り入れました。さらに講演の内容をまとめた本も飛ぶように売れたため、その印税を基金として、品質管理の進歩に功績のあった個人や企業に贈る「デミング賞」が、来日の翌年1951年に創設されたのです。以来66年間に渉って品質管理の世界最高峰の賞としての権威を誇り、その受賞企業の管理手法は公開され、それを学んだ他の企業がより工夫をこらし自社に活かすという風に、日本の製造業の品質管理レベルは人々の意識と共に向上したのです。そして1987年には品質マネジメントの国際規格であるISO9001が創設されました。デミング賞は成果に対する表彰制度ですが、これに対しISO9001は取得後、半年または1年の維持審査があり、システムが有効であるかを確認し、基準に達しなければ取り消しもあるという継続性を評価するシステムです。このISO9001もデミングサイクルをベースに構成されており、彼の品質管理の教えは今後も、日本の製造現場の品質を担う根幹として息づいていくことでしょう。

トヨタは、デミング理論を取り入れ世界的な自動車メーカーへと成長した代表的事例です。1955年(昭和30年)に本格的な乗用車であるトヨペットクラウンを発売し、2年後にはトヨペットコロナを発表。それに応じて工場の人員を大幅に増加させ、生産量は一気に7倍となりました。しかし、品質管理が追いつかず様々な不具合が表面化し、一時輸出停止という事態を招きます。品質管理の刷新は喫緊の課題となり、そこでトヨタはこのデミングの理論を製造現場に導入し、根底からその管理方法を見直したのです。この品質管理の考え方や効用についての認識は全社的に広まり、「品質は工程で造りこむ(自工程完結)」という有名な言葉も誕生しました。1966年度の会社方針では「オールトヨタで品質保証」をスローガンに、社内の総合管理体制をさらに充実させることに重点が置かれ、グループ会社にもデミングの理論を導入させました。トヨタグループのスタッフ全員が参加し、一人一人が品質保証の主役として品質改善を図ったのです。こうした取組みが評価され、1970年に企業初のデミング賞を受賞し、トヨタ自動車は名実ともに世界が誇る自動車メーカーへと発展を遂げました。

「Joy of Work(働く喜び)」という言葉があります。デミングが日本へ品質管理の理論を伝授した時、「Joy of Work がなければ、PDCAも廻らない」と説きました。責任を担う意志を持つ個人が、自分の仕事と他人の仕事の繋がりを意識して、チームとして目指すべき成果目標を認識、協力して学習し、新しい知恵を生み出す人材とその組織環境を確立させることがデミングの品質管理の目的です。一人一人が仕事を進めていく中で人間的に成長を実感し、「働く喜び」を感じながら責任を担う企業風土を創り上げることで、PDCAも潤滑に廻っていきます。残念なことに、近年世界に広がるエアバッグ問題、免震ゴムの性能偽装、止まることを知らない食品偽装など、品質に関わる問題が社会現象となっており、日本のものづくりの根幹を揺るがす問題が頻発しています。品質とは、製品の品質だけを指すものではなく企業活動全体の質を問うものであり、その在り方が製品の品質として表れるのです。戦後、粗悪品しか作れなかった時期にデミングの存在が経済復興に大きな役割を果たしたこと、私たちは今改めてこの理論を再確認し、日本人が必死になって品質向上に励んでいた戦後復興期のものづくりの精神を見つめ直す時期ではないかと思うのです。