[第64号]煙管で粋に一服

 煙管(きせる)。時代と共に馴染みの薄い言葉となっています。江戸時代に開発された喫煙具である煙管は、江戸や明治時代の男性にとって、数少ない装身具の一つでした。煙管の語源は、カンボジア語の「Khsier クシエル(パイプの意)」に由来します。煙管は当時の日本人にとって単なる嗜好ではなく、お客様がお越しになるとお茶より先に、煙管・灰落し・タバコ入などの喫煙具一式を納める「たばこ盆」を供するという、日本独自の喫煙文化が構築されました。現在、日本人の喫煙者のほとんどは紙巻たばこを使用していますが、近年、煙管を愛用する方が増えてきており、日本たばこアイメックス様販売・煙管用の刻みたばこ「小粋」は、年々売上を伸ばしているとのこと。江戸時代に生まれた伝統文化、それを支える精神や美意識があらためて注目されるようになったと言えます。

 たばこが初めて日本に伝えられたのは、16世紀中期〜17世紀初期の南蛮貿易です。1612年には、現在の徳島県において日本で初めてたばこが栽培され、「刻みたばこ」が市場へ流通し、その後、煙管が開発されました。次第に煙管は、唯一の喫煙具として日本人の必需品として広まっていきます。煙管の素材の多くは金属製ですが、煙管が日本で発展した背景として、全国的に日本人特有の緻密で高度な金属加工技術を保有する職人が多数存在し、煙管の需要と供給のバランスが伴っていたことが挙げられます。煙管文化の定着によって付属品である、煙管入・たばこ入・根付け・たばこ盆など他の喫煙用具にも、様々な創意工夫と高度な意匠を凝らした工芸品が開発されましたが、いわゆる舶来品の道具と風習が、見事に日本的に昇華され発展した道具の典型と言えます。

 煙管は主に、東京、京都、会津などで製作されていましたが、江戸後期、会津の職人が燕に煙管製作の技術を伝えると、瞬く間に煙管職人が増えていき、後に燕は、全国一の煙管産地として発展していきます。燕の煙管製作の最盛期、昭和初期には190戸(390人)が煙管を製作しており、中国などにも輸出され、国内外の煙管愛好家がこぞって燕製の煙管を愛用しました。当時の燕の人口は1万2,000人(約2100戸)、その内の約20%・410戸が金属加工業でしたので、戸数では燕の金属加工業の半数近くが煙管業を営んでいたことになります。しかし、明治5年(1872年)に開発された紙巻たばこの存在が時代と共に幅を利かせ、戦後、煙管の需要は大幅に低下。その後も、煙管需要が低下したことから、煙管職人も激減し、現在は全国でも煙管業を営んでいる会社は燕市の1社のみとなっています。

 さて、江戸時代以降、煙管は武家のみならず一般庶民にも広がり、単なる喫煙道具ではなく、ステータスシンボルと同時に一種のファッションでした。煙管は最も個性を表現する道具のため、趣味趣向にあった煙管を求め、いかなる苦労もいとわなかったそうです。まず形にこだわり、そして装飾は絢爛豪華に。形状はボディが太いと香りがまろやかに、細いと香りがストレートに伝わるため渋みが増し、その日の気分に応じて使い分けをします。装飾も個人個人の趣向によって千差万別です。より個性を打ち出すために、全国区の著名な彫金師に作業を依頼することも。その煙管コレクションの代表格が燕市産業史料館です。全国有数の煙管コレクションとして知られており、当代随一の彫金師が施す装飾は見事で、精妙を極めた小宇宙が、うっとりと眼前に開けてくる想いがします。
 
 煙管はシガー(葉巻)と同様、煙を肺に入れない口腔喫煙が基本で、種類にもよりますが、アルコールと共に楽しむとお互いの香りがより一層引き立ちます。シガーはコニャック、シングルモルトなどのアルコールと絶妙なマリアージュを実現させ、その相性の素晴らしさに、シガーは国内BAR業界において必需品となりつつあります。煙管の場合、それら洋酒にも合いますが、同じ日本の土壌である日本酒、特にスパークリング日本酒との相性が良く、煙管用の刻みたばこ「小粋」を販売している日本たばこアイメックス様は、日本料理・日本酒・煙管のマリアージュを追求しています。煙管の普及には、紙巻たばこのようなリラックス効果を期待するだけではなく、日本酒業界や日本料理業界との連携が不可欠で、日本の食文化の中に、いかに煙管を浸透させることが出来るかが、今後の課題となります。

 上述の通り、かつて日本一の煙管産地・燕において、煙管業を営んでいる会社は、今や1社(2名)のみ。日本の煙管文化、そして燕の煙管技術を継承・発展すべく、弊社も鎚起銅器の技術を活かした煙管製作を継承し、煙管を弊社製酒器、食器などと共に販売、日本の文化を総合的に提案していきたいと思っています。火皿に刻たばこを入れる、使用後の空布巾、定期的な掃除など、煙管は紙巻たばこと比べて何かと手間が掛かります。しかし、その手間を楽しむ心が日本文化の根源であり、文化とは心の余裕から生まれてくるもの。江戸時代、日本で生まれた素晴らしい伝統文化が時代と共に薄らいでいますが、江戸時代に開花した「粋」の精神は、現代社会にも活かして行きたいものです。