[第62号]20年に1度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮

 継承し、繰り返されることの永遠。伊勢神宮には常に新しくあり続ける、常若(とこわか)の精神があります。今年、伊勢神宮では20年に1度の式年遷宮(せんぐう)の年を迎えました。遷宮とは、内宮・外宮の正宮や別宮などの建物を建て直すと共に場所を遷し、さらには殿内の宝物も全て新調する伊勢神宮最大の神事。式年遷宮に際して、建て替えられる社殿は65棟あります。これは、伝統的な信仰や文化、建物などが世代を引き継ぐことで永遠の生命を維持すると共に、新しい社殿に遷すことで、神々から新たなエネルギーを注入させるという意味合いが込められています。式年遷宮は、いわば神様の引っ越しであり、永遠性を実現する大いなる営みでもあります。

 式年とは定められた年という意味で、伊勢神宮では20年に1度行われ、第1回の式年遷宮が行われたのは、690年(持統天皇4年)のことです。それから約1300年に渡って継続され、平成5年に第61回、今年平成25年は第62回が実施されています。文化や宗教においては、古いものほど価値があるように思われがちですが、伊勢神宮では常に社殿を清く新しく保つことを重んじています。伊勢神宮の社殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という日本最古の建築様式が用いられており、日本の文化のルーツを伝え、伝統技術を保存継承する上でも、式年遷宮は大きな役割を果たしています。1300年に渡って引き継がれてきたのは社殿そのものではなく、社殿を作る技術であり、結果的に私たちは、飛鳥時代と全く同じ社殿を目にすることが出来ているのです。

 では、なぜ20年に一度なのでしょうか。その理由については諸説あります。「神宮の社殿は桧の素木造りで屋根が茅葺きであるため、常に清々しい姿を保つには20年周期が望ましい」「昔は20年を満数といって、20年経てば全てが初めに戻るという考え方があった」 「古代日本の経済を支えた稲(乾した飯)の貯蔵年限が20年であったから」など。しかし、「 宮大工、御神宝装束を調進する伝統技術を次代へ継承させるためには 、20年周期が適切な区切りである」とする説が一番説得力があります。約1300年前の日本人の一生は50年より短かかったため、伝統技術を後世へ正しく継承させ、そして、信仰を伝承させるためには、20年というサイクルが最適だったものと考えられます。

 この20年という数字は現代においても、技術・技能の継承という意味では理に適ったシステムであり、老(ベテラン)壮(中堅)青(若手)という3世代の協働による技術継承が可能となります。式年遷宮が終われば、次の20年先の教育が始まり、3世代間における技術の継承を確実に実践させることが可能となります。また、遷宮では建物だけでなく、刀や鏡などの御神宝、衣装や櫛などの御装束もすべて作り直されます。どれもが高度な技術を要する伝統技法のため、20年という式年は技術の伝承という意味でも重要な節目。見習いの若手職人は、その次の遷宮で若手職人を育成する立場に回り、日本が生み出した伝統美と技術が脈々と継承されていきます。

 世界広しといえども、日本以外で、このようなシステムで技術継承が行われているところは聞いたことがありません。中国、エジプト、ギリシャをはじめとする諸外国は、堅固な石造りによって建物の永続性を得ようとするハード中心の考え方に対し、伊勢神宮は伝統技術そのものを継承させるソフト中心の考え方。これは日本文化の真骨頂たる、約1300年続く驚異の伝承サイクルと言えます。飛鳥時代に開発された技術が、確実に次代へと伝承されていき、永遠に技術と文化の伝承が可能となる日本人の柔らかな知恵。建物という有形の文化財を守るよりも、職人技という無形の文化財を守るという発想は、ある種、無形の文化財を守ることで、有形の文化財をも守ることにもつながっていきます。

 式年遷宮が20年に一度、約1300年間繰り返されてきたという事実にこそ、その重みがあります。伝えてゆくべきものの本質は、日本の伝統技術、日本人の精神であり、「古いものをそのまま残す」という価値観が、決して全てではないということを式年遷宮は示しています。式年遷宮の繰り返しにより、伊勢神宮は「世界遺産」の対象にはなりませんが、今も昔も、日本人の聖地であり続けており、式年遷宮を継続してきた伊勢神宮には、確かな未来が見えます。永続は瞬間瞬間の連続。それは、生物の細胞が常に新しく変わりつつ、一つの魂を紡いでいくかのように。外観は変化しても、精神的支柱が継承されることこそ、永続のあり方の究極なのかもしれません。