[第60号]宮大工・西岡常一に学ぶ職人魂

   法隆寺や薬師寺の修復で棟梁を務め、宮大工の鬼とも言われた西岡常一(にしおか つねかず・1908年9月4日~1995年4月11日)。昨年、西岡常一の生涯を描いた映画「鬼に訊け」が公開されると、一躍時の人となり、さらにはNHK・プロジェクトXでも特集され、その職人魂に多くの国民が心を動かされました。「樹齢千年の木は、千年もたさなければならぬ」。宮大工は千年先を見据えた仕事をしなければならないと、木との対話に人生を捧げ、木の命を極限まで活かすべく、千年耐える建造物の構築を使命としました。亡くなられてから20年近く経過しましたが、その職人魂は影を潜めるどころか、近年ますます脚光を浴びており、日本の職人を語る上で、西岡常一は欠かせない存在となっています。
 西岡常一は奈良県斑鳩町出身、祖父と父も法隆寺の宮大工棟梁。宮大工は国宝や重要文化財建物の修理、寺社の建設など、高度な技術が必要とされるため、文化財保存のために必要な技術として、文化庁「選択保存技術」に指定されています。西岡常一は、祖父と父の教えを受け、宮大工になる前「土を知る」ため、農学校へ入学させられます。一見遠回りにも思える農作業には、法隆寺宮大工の口伝に伝わる、建築の全ての真髄が含まれていることを知り、衝撃を受けます。「自然には土を育み、土は木を育てる」。その教えの深淵さを体感し、森羅万象、全ての命を繋いで行くことの尊さこそ、建築の原点であることを身を持って学びました。
 「千年の檜には千年の命があります。建てるからには建物の命を第一に考えなければならない。木は大自然が育てた命。千年間、山で生き続けてきた命を建物に活かす。それが宮大工の務めなのです」。宮大工の仕事は、現代の速さと量を競う技術とは根本的に異なる、日本人いにしえの叡智。自然への洞察、千年先へ命を繋げていく、途方も無い時間への執念すら感じます。「木を買わずに山を買え」とは、法隆寺宮大工の口伝の一つ。檜なら全てが千年以上持つわけではなく、土やそこに育まれる命を理解してこそ、千年以上耐える木の見極めが可能となります。飛鳥時代の大工は、土地の個性を見抜いて木を選択していたため、総重量1200トンの五重塔が1300年以上も朽ちず、今も威風堂々とそびえ建っています。
 しかし、室町時代あたりから風土に合わせるという発想が徐々に薄れてしまい、建造物の耐久年数が次第に落ち始めます。さらに江戸時代になると、風土に合わせるという発想自体がほとんど無くなってしまい、建造物の耐久年数は著しく落ちてしまったと言います。さらに、この頃から木の寿命を伸ばす木と木を組み合わせる「木組み」技法から、木の寿命を縮める木に鉄の釘を打つ製法が多用されることに。木よりも鉄の寿命の方がはるかに短いため、鉄の釘のサビで廻りの木が腐り、修理の時は木を取り替える必要性が生じてしまいます。室町時代以降、いかに安く建てるかという風潮が生まれたことは、とても惜しく悲しいことであると、西岡常一は嘆いています。
 宮大工とは、木を見極める能力と建築技術を高めるだけでなく、道具の「研ぎ」の技術力向上と「研ぎ」にかける時間も重要であると説いています。いい仕事をする大工の1日は、刃物の研ぎにかける割合が「4」、作業にかける時間の割合が「6」であるというのが、西岡常一の持論。刃物に紙を吹き付けると、サッと切れるくらい極限まで研いだ刃で木を削ると、木の繊維を痛めず、木の細胞の層を一枚一枚剥がすという感覚がつかめるといいます。その場合、そこに雨があたっても細胞の層に切れ目がないので、雨水を弾き返しますが、研ぎが不十分な刃物では木肌が毛羽立ち、木に雨水が染み込みます。これでは木の寿命を縮めてしまい、建造物の寿命を縮めてしまうことになります。
 宮大工という仕事は、千年、二千年と後世に伝えていく文化遺産と向き合う職業。そのため、西岡常一が発する言葉の一つ一つは、極めて長期的なスパンで物事を洞察する視線に溢れています。この見方は、現代社会がスピードや合理性を追求するあまり失ってしまった知恵の一つであり、西岡常一の言葉が現代人の心を捉えることは、至極当然のことかもしれません。宮大工の枠を超えて、現代社会に対する独自の境地に達した西岡常一。「そんなことしたら、木が泣きよります」。我々が顧みることの無かった根源的な日本人のあり方に再び目を向け、心の復興を願う西岡常一の祈りが、この言葉に込められています。