[第57号]江戸のデザイン、今こそ学び活かす時

 江戸の開府から幕末までの約260年間、鎖国状態の中で独自の文化を築き上げ、大名から庶民まで、それぞれに目を見張るデザインを生み出してきた江戸時代。江戸時代に生まれた、形、文様、色などに集約される美的感性と遊び心は、現代に通じる日本文化の宝庫であり、まさに日本人のデザイン感覚、美意識の原点。日本のデザインルーツは、江戸時代に確立されたと言ってもよいでしょう。大胆な構図の浮世絵、絵や文字を駆使した出版物や広告、そして、男たちの審美眼を表現した装い。それら全ての根底に流れている「粋」という美意識は、時代と共に見直されています。

  江戸時代に高い技術を誇る工芸品となった代表例として、「煙管(きせる)」「煙草(たばこ)入れ」が挙げられます。煙草自体が嗜好品であり、必然的に遊び心やこだわりのあるものが、次々と製作されるようになりました。これらは普段、帯の下のあるために見えませんが、煙草を取り出す時に初めて人目に触れる道具。そのような見えないところへのおしゃれが「粋」とされました。そして、煙管と煙草入れは、単なる喫煙道具というだけではなく、使用している道具のレベルで、その人の地位や身分を表現する唯一の装身具のため、自分の趣味嗜好にあった逸品を求め、いかなる苦労もいとわなかったそうです。

  江戸のデザインの代表格「江戸小紋」。遠くから見れば美しい色合い、近くから見れば繊細優美、和を愛で装う日本の心「侘」「寂」に「粋」を併せ持つ、日本の美意識が凝縮されたデザインです。江戸時代、諸大名が着用した武士の式服・裃(かみしも)の模様付けが発祥とされます。大名たちが江戸城へ登城の際、模様付けの豪華さを競い合うことを見かねた幕府は、武士たる者、豪華に着飾るものではないと、贅沢な裃の着用を禁止。そこで、遠目では無地に見えるように模様を細かくした結果、生まれたのが江戸小紋です。模様が極めて細かいため、その製作には非常に高度な染色技を駆使することになり、結果、職人技術も高まっていくという副産物をもたらしました。

  江戸小紋の中でも、特に人気の高い文様の一つが「市松」。江戸前期、歌舞伎の佐野川市松の名前が由来で、市松模様の衣装を身に付けて以来、大流行に。その市松模様を活かした世界的事例として、ルイヴィトンの「ダミエライン」が挙げられます。ヴィトン2代目のジョルジュ・ヴィトン氏が市松模様にインスパイアされて商品開発し、1889年(明治22年)、玉川堂(当時3代目玉川覚平)も出展したパリ万国博覧会にて発表。ダミエラインは博覧会金賞を受賞しました。そして1896年(明治29年)には、星と花の柄にイニシャルを組み合わせた「モノグラム」を発表。これは、パリ万国博覧会で見かけた薩摩・島津家の家紋の美しさに惚れ込み、家紋をアレンジさせたデザインです。

  20世紀初頭、パリは繁栄を極め、ムーラン・ルージュをはじめキャバレーや劇場などが次々と誕生し、この活況を一層華やかに飾ったのがベル・エポックのポスター。このポスターは、江戸時代に誕生したアート・浮世絵からヒントを得たデザインです。浮世絵は、これまでの西洋絵画と異なり、大胆な構図と鮮やかな色彩構成で、ヨーロッパのアーティストを驚かせました。浮世絵は、現代で言えばポスターや絵葉書のようなもの。武家や貴族階級のための高級美術ではなく、庶民の欲望を満たすためのビジュアルアートであり、そこには日本人の美意識が凝縮されています。浮世絵は日本のみならず、世界中のグラフィクや広告表現のコンセプトになっていると言っても過言ではありません。

  文明国が約260年間戦争をせず、鎖国状態で一大文化を築いたことは、世界的にも稀なケースと言えますが、その間に、「粋」という固有の美意識と価値観を作り、世界美術史に残る優れたデザインを輩出していきました。これは、技術の展開が軍事の方向へ向かわなかったことが要因かと思われます。昨今のブランドブームなど、何かにつけて欧米志向の強い日本人ですが、今一度、日本人の祖先が素晴らしい美意識と感性を持ち合わせていたことを、しっかりと認識していきたいものです。江戸のデザインには、パッケージや広告など、業界問わず様々な企業に活用すべきヒントが隠されており、デザインの原点である江戸のデザインを、今こそ現代に活かす時ではないかと思っています。