[第51号]進化し続ける重要文化財・東京駅

   国の重要文化財であり、高層ビル群の中にあってひときわ偉容を誇る、赤レンガの駅舎・東京駅。多くの人々が行き交う巨大なターミナル駅でありながら、約100年もの間、時代を超えて親しまれてきた日本を代表する名建築です。その東京駅は、本日10月1日、約5年に渡って進められてきた保存、復原(後世の修理で改造された部分を原型に戻すことで、「復原」という用語を用いました)工事が完了し、震災などで失われた壮麗なドーム屋根や3階部分が復原され、創建された当時の威風堂々たる姿へと甦りました。重要文化財と商業施設が見事に融合され、歴史建造物の保存活用としてのあり方に、新たな方向性を示す画期的な事例としても注目されています。

 首都東京の玄関口・東京駅は、明治の大建築家・辰野金吾氏の設計により1914年に竣工した、他に例のない大規模な鉄骨煉瓦造。東京駅開業当時は、周辺にほとんど建物が無く、荒野にぽつんと駅舎が立っている状態だったと言います。当時の中心駅は、西へ向かう列車の拠点は新橋駅、北へ向かう列車の拠点は上野駅。実用性の新橋駅、上野駅に対し、東京駅は、象徴性を重視して建てられたとのことです。当時、日本は日露戦争に勝利し、欧米列強と肩を並べる大国になったとの意識が高まっていた頃。そのような社会情勢の中で建築されたのが東京駅。皇居と向き合うよう、壮大な駅が建てられたことに、国家の威信を示さんとする思惑が感じられます。

   東京駅は、何度も高層ビルへの立て直し計画が持ち出されたものの、反対運動によって破壊を間逃れましたが、戦後の急激な都市化により、国宝級建造物の破壊事例が全国的に続出しました。それを防止しようと、文化庁は、重要な建造物を厳選し、重要文化財の指定を増加させ、建造物保存に努めました。しかしながら、指定対象が国宝級のみでは不十分であり、より緩やかな規制のもとで、幅広く保護の網を掛ける必要性があると、平成8年、任意で登録する文化財制度「登録有形文化財」が導入されました。登録の条件は、50年以上経過した建築史的・文化的価値の高い建造物。以来、全国各地の古い建造物を、まちづくりや事業発展のために活用していこうという動きが広がっていくことに。
   弊社も登録有形文化財の制度を利用し、平成20年、明治末期に建てられた建物を、登録有形文化財として登録すべく文化庁に申請し、審議会を経て登録されました。燕三条地域では弊社の登録を皮切りに、ここ数年で3件登録され、今年は三条市(旧下田村)の名宿「嵐渓荘」が登録有形文化財に登録されています。この建物は、もともと弊社近くに存在した料亭旅館で、昭和30年の廃業後、その文化資産を地域内で保存すべく、川を利用し船で移築させた、燕三条地域が誇る建物です。登録有形文化財は、地域や事業活性化のための格好の制度。全国各地で登録有形文化財への登録の動きが活発化しており、登録による文化資産を活かしたまちづくり、事業展開が実践されるようになりました。
「文化財に指定されると、改装ができないのでは?」と、お客様から決まり文句のようにご質問されます。登録有形文化財とは、建造物の活用を重んずる文化財であり、観光資源や事業資産として活用することで、地域や事業の発展を助長するための登録制度です。外観が大きく変わる場合や、移築などの場合、文化庁へ変更届を提出する必要がありますが、それ以外は大きな規制は無く、特に強く縛られることはありません。例えば、建物の内部をレストラン、ショップ、ギャラリーなどに改装することは、登録有形文化財としての理想的なあり方。平成8年の制度発足以来、全国で約9.000件の建造物が登録されており、魅力的な改装を行った事例が多数存在します。

   この度の東京駅の魅力的な復原は、国民の文化財に対する意識高揚も期待できます。重要文化財という歴史遺産でありながら、国内外多数の方々が利用し、ホテルや商業施設として新たな機能が融合されていく姿は、常に進化を遂げてきた、経済大国・日本を象徴する建物と言っても過言ではありません。文化財とは、守るだけではなく、進化発展すべきもの。全国各地域には、まだまだ数多くの貴重な建造物が残されており、その地域資源を掘り起こし、現代社会の中での持続的発展を、積極的に行なっていきたいものです。古い建造物を利用し、まちづくりや事業展開のために活かしていくことは、日本経済の再生のための重要な要素の一つであるということを、この度の東京駅の復原を拝見し、あらためて感じています。