[第47号]日本デザイン生みの親、亀倉雄策

    戦後、日本デザインを創成したデザイン界の大御所・亀倉雄策。東京オリンピックや大阪万国博覧会のポスターをはじめ、「Gマーク」「伝統工芸品」「NTT」など、日本を代表するロゴマークを次々と手掛け、世界にその名を知られるグラフィックデザイナーです。ポスターに写真やイラストを初めて取り入れた人物としても知られ、日本のグラフィックデザインを世界水準に引き上げた功労者。戦後の日本のデザイン界をリードし、当時浸透していなかった「デザイン」という新しい切り口で、日本経済に大きな影響を与えました。

 亀倉雄策(1915年4月6日~1997年5月11日)は、新潟県燕市出身で、燕市栄誉市民でもあります。亀倉家は燕の名家として知られ、地元住民からは「亀倉様」と言われた大地主。6人兄弟の末っ子として生まれましたが、小学生の頃、両親の投資の失敗によって家族で東京へ移り住むことに。当時を知る近所の方のお話では、家の中は見たことも無い近代的な家財道具が使用され、デザイン感覚溢れる大豪邸だったとのこと。亀倉家の生家はすでに解体され、現在、燕市公民館「吉田ふれあいセンター」となっていますが、亀倉家跡地を見ようと、そこを訪れる全国の亀倉雄策ファンが後を絶ちません。

 1960年代初頭は、日本デザインの大きな転換期と言われています。日本デザインセンターの始動、日本初の世界デザイン会議の開催、そして、1964年の東京オリンピックのポスター製作。この三つの事業は、いずれも亀倉雄策が中心となって動きました。「デザインで世の中を動かす、変える。」と語り、その言葉通り、デザインの力によって日本が世界へと力強く羽ばたいていきます。社会的使命を持ってデザインされ、敗戦後、世界に通用するデザインの文化を持ち合わせた国にしていきたいと、野心を燃やしていました。

 代表作、東京オリンピックのポスターデザインについて、このように語っています。「清潔、明快な日本、そして、スポーティーな動感を表してみたかった。完成したものは、簡素と言っていいほどの単純さです。」装飾が多すぎると、どれも目立たなくなりますが、ポイントを集約させ、装飾を出来る限り削ぎ落した方がデザインは美しくなる、というのが亀倉雄策の考え方。亀倉雄策のデザインに共通していることは「デザインの引き算」にあります。シンプルに徹し、本質以外のものを徹底的に削ぎ落し、対象の本質を際立たせています。

 企業のロゴやパッケージでも秀逸な作品を多数輩出していますが、特に私好みのデザインは、「明治チョコレート(meiji)」。最近、若干アレンジされましたが、時代の変化を耐え抜く力強さと共に美しさを発し、その存在感は、他の菓子製品を圧倒しています。「企業の理念を熟知し、企業や商品イメージを作り上げる。そうしたプロセスを経て、初めてデザイナーとしての仕事が成り立つ。」今でこそ、当たり前のように聞こえますが、当時はデザインの概念が判然としなかった時代。一つ一つデザインの階梯を築き、日本に「デザイン」という言葉を確立させました。

 あらゆる製品が物語っていますが、一時的な前衛的存在になることよりも、スタンダードになることの方がはるかに困難です。それは、多くの方々の暗黙の合意、コミュニケーションの上にしか成り立たないからです。インプットの量が多ければ多いほど単純になり、取り除くものが無くなった本質のみを表現することで、普遍性は生まれていきます。今こそ、亀倉雄策に学び、いつの時代にも愛される普遍性を創出していくことが、日本の産業界に求められる考え方ではないかと思っています。