[第46号]究極のスローライフを実践した良寛

 良寛と言えば、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。多くの方は、慈悲溢れる笑顔で子供たちと手まりをついて無心に遊ぶ、托鉢僧の姿を思い浮かべるかもしれません。良寛は清貧の中で、草庵にて一人暮らしをし、寺や宗門を持たず、子供や鳥にいたるまで生きとし生けるものへ愛を与え続け、世間基準にとらわれない独自の生き方を貫きました。以前、「日本人は、昼間はビルゲイツに憧れ、夜は良寛に憧れる」という、良寛特集の雑誌を読みました。昼間は競争社会の中で身を置き、夜になれば一人眺める月に良寛を想うというものです。時々刻々と変化する世の中、良寛の魅力に取りつかれ、その存在力の大きさを見つめ直す方が増えてきているようです。

 江戸時代、佐渡の金銀を運ぶ重要な宿場町として繁栄を極めた出雲崎(新潟県出雲崎町)。その出雲崎の名家の長男として生まれた良寛(1758年11月2日〜1831年2月18日)は、将来、名主になる人間として教育され、富と栄誉は約束されていたものの、その道を捨て、18歳で仏門入りし、岡山県玉島「円通寺」の国仙和尚のもとで、34歳まで修行を行います。その後、諸国行脚を続けたのち、38歳で故郷の新潟へ戻りますが、生涯、特定の寺に属すること無く、社会身分も財産も持たない生活を送り、48歳からは「五合庵(新潟県燕市)」での暮らしを開始。74歳で生涯を閉じました。

「吾唯知足(われ ただ たることを しる)」。何事にも満足し不満の気持ちを抱かない、欲がないとあらゆる事に満ち足りた気持ちになる、という意です。良寛は無一文の生涯に徹し、無いことが常態である時、初めて人間は有ることに無上の満足と感謝を覚えると説いています。有ることが常ならば、無いことに不満を感じても、有り難がる心持ちはなかなか湧かないもの。身辺を常に欠乏の状態に置くことは、常に感謝を持って生きることになる、というのが良寛の哲学です。人間が足るを知ることなく、欲望のままに物質的な豊かさだけを求めていけば、世界はいずれ立ち行かなります。
 
 良寛は自然を愛し、自然に根ざした質素な生活を送る、スローライフの究極の体現者です。大自然の悠久の時間の中に悠然と暮らし、ひたすら心の豊かさを追求していきました。真のスローライフとは、常に欠乏の状態に身を置き、天の諸々の恵みに深く感謝して、他者との共存に優しく配慮する生き方を言うのかもしれません。良寛は、美しい季節の移ろいを肌で感じ、自然を愛することへの極上の幸せを感じながら、時には子供たちとの遊びに興じましたが、良寛はいるだけで周囲の人の心を和ませ、楽しい雰囲気を作ったと言いいます。内面において深い哲学思想や自己の生き方への問い掛けを続け、ひたすら心の充足を得る毎日でした。

 良寛は書に卓越の技能を持ち、ある種、日本の書道の頂点とまで称されている人物でもあります。良寛の書には、身を閑に置き、物欲を捨てる精神がにじみ出ており、書の美しさの極みと言っても過言ではありません。力みが全く無く、天衣無縫という言葉がピタリと当てはまります。良寛の書の特徴は、力強さや迫力とは対極にある繊細美です。一見、細々と貧弱にも見えますが、一字一字の文字バランスや重心がしっかりと取れており、余白の使い方には極めて高い感性を感じます。この類稀なる造形力は、究極のスローライフによる影響も大きいのではないでしょうか。自然から学んだ美学が、造形力向上につながっているものと思われます。

 本当の豊かさとは何か。良寛の人生を学び、良寛の言葉や書を拝見するにつれ、そこには、人間の豊かな生き方の源泉、そして、ものづくりの原点が隠されているような気がします。「無に徹し、弱さに徹することで、人間は逆に全てを得る」と良寛が覚っていますが、清貧は、私たちの繊細な感覚、人間が本来持っている能力を潜在化させる力があるものと思われます。変動激しい現代社会において、現代人が時として忘れがちになりやすい清貧の心を、良寛は誰よりも大切にしてきた人物です。良寛が残した数多くの言葉や書を目の当たりにし、清貧を旨として生きた良寛の生き方には、今、あらためて注目すべきものがあります