[第45号] ツタンカーメンの秘宝が日本再上陸

 1965年の高度経済成長期、日本美術展史上最高の観客動員を集め、日本を熱狂の渦に巻き込んだ、エジプト考古学博物館所蔵「ツタンカーメン展」。それから約半世紀の時を経て、今年、ツタンカーメン黄金の秘宝約50点が日本に再上陸しました。先月から大阪天保山特設ギャラリーにてツタンカーメン展が開催されており、大きな話題となっていますが、その後、東京へ移動し、8月4日からは上野の森美術館でも開催されます。このツタンカーメン展は、2004年から世界の主要都市を巡回しており、各国で記録的観客数を動員していますが、今年は待望の日本開催の年。今年、日本はツタンカーメンが大きくクローズアップされる年になりそうです。

 1922年、考古学史上、最大の出来事が起こりました。約3300年前の古代エジプトのファラオ(王)の墓が盗掘されず、当時の状態のまま発見されたのです。その中に隠されていたのが、古代エジプトを代表する秘宝・ツタンカーメンの黄金のマスクをはじめとした豪華絢爛な副葬品約2000点。しかも、ほぼ無傷の状態で。略奪されていない当時のままの墓ということで、世紀の一大発見として世界中の考古学者が驚愕しました。古代エジプトには約90人のファラオの存在が記録されていますが、その全ては盗掘に合い、墓内の副葬品の多くは持ち去られていたため、当時のファラオの墓が盗掘されずに発見されるとは、もはや有り得ない出来事と考えられていました。

 ツタンカーメン王は、18歳という若さで亡くなった少年王です。古代エジプトの学者がまとめた王名表にも記載されておらず、全く無名のファラオでしたが、1922年の世紀の発見により、一躍その名を世界に轟かせました。ツタンカーメンの墓で発見された約2000点の副葬品の数々は、黄金や宝石がふんだんに使用されており、まさに古代エジプトの莫大な富を物語っています。古代エジプト時代、庶民は純金をかき集め、それらは全て時の権力者へ渡すことを義務付けられていたと言われていますが、その豪華さは比類のないもの。副葬品の魅力は私たちを圧倒し、約3300年の時を経ても全く色褪せることなく、見事な光沢を放っています。

 ツタンカーメンの黄金のマスクをはじめ、純金を使用して製作された副葬品の数々は、弊社の製法でもある鍛金(たんきん:一枚の金属板を叩いて器などを成形する)の技術が生かされています。鍛金の起源は、約5000年前の、同じく古代エジプト時代とされており、当時は単純な形状の武器や装飾品などが製作されていましたが、その約2000年後には、ツタンカーメンの黄金のマスクのような芸術的領域にまで技術が進歩した、ということになります。特に、黄金のマスクの顔の輪郭は、我々銅器関係者が見ても非常に精巧に製作されており、約3300年前からこれだけの技術と感性が融合された製品が作られていたとは、とにかく驚くほかありません。

 また、ツタンカーメンの副葬品には、鍛金の技術の他に、七宝や溶接の技術も生かされており、七宝と溶接共に世界最古の製品とされています。その技術力の高さは、鍛金同様約3300年前とは思えないほど精巧なもので、「世紀の一大発見」は考古学の世界だけではなく、美術工芸や金属加工の業界においても、世紀の一大発見となりました。今あるエジプトの多くの遺跡は、地上に現れていたものを清掃を兼ねて発掘したものがほとんどです。しかし、近年の科学技術の進歩により、衛星や電磁波などを駆使し、地下に埋もれている可能性のある遺跡の発掘が本格化されるとのことで、近い将来、ツタンカーメンの発掘同様、考古学と美術工芸学の歴史を塗り替える世紀の大発見があるかもしれません。

 ツタンカーメンの黄金のマスクを始めとした副葬品の数々は、その高度な技術と共に、優れたデザイン性にも特筆すべきものがあります。古代エジプト人のモノづくりの基盤となっていたのは太陽信仰であり、太陽を神として崇め、モノづくりを行なっていました。太陽の生命力に感謝しながら自然と共存していこうというモノづくりの姿勢です。ツタンカーメンの秘宝はモノづくりの原点であり、これからのモノづくりのあり方において、大きなヒントが隠されているような気がしてなりません。今年は約半世紀ぶりの日本開催の年。古代エジプト時代に、長きに渡り受け継がれてきたモノづくりの精神をツタンカーメン展で感じ取り、モノづくりのあり方を見つめ直したいと思っています。