[ 第29号 ]鮨は日本が育んだ世界の食文化

 「ミシュランガイド東京・横浜・鎌倉2011」が、先月27日に発行されました。2007年に初めて刊行されて以来、毎年更新され、今年で4年目となる 東京版は新たに横浜と鎌倉も加入。関西版も京都と大阪に加え、今年から神戸も加入し、対象地域が広がりました。中でも東京の評価は別格であり、東京の三ツ 星数14軒はパリの10軒を超え、フランスに本社を置くミシュランガイド総責任者ジャン・リュック・ナレ氏は、「東京は世界の美食の首都」と表現していま す。ミシュランガイドについては賛否両論あるものの、ミシュランガイドの存在が日本人の食への関心に加え、飲食業界全体の質を高めており、日本の食文化の 発展に大きく貢献していることは間違いありません。

 82歳という世界最高齢でミシュラン三ツ星シェフに認定され、ギネスブックにも登録されたのが、銀座の鮨の名店「すきや橋 次郎」店主・小野次郎氏です。握りの技は当代一と言われ、厚生労働省認定の「現代の名工」にも選ばれています。生来の不器用で、鮨を握るには致命的な左利 きというハンデもあった小野次郎氏は、試行錯誤を重ね「次郎握り」と呼ばれる独自の握り方を開発。握った鮨を置くと、ふんわりと仕上がった鮨が息を吐くよ うにゆっくりと沈み込み、その絶妙な握り加減は、同業者から神の領域とさえ言われています。「不器用だからこそ人の三倍考えた」という向上心の高さがその 技の陰にあり、小野次郎氏の握りの哲学には大いに学ぶべきものがあります。

 鮨職人は異口同音、鮨の旨さはシャリで決まると言います。酢の吸収力を高めるため、水分の少ない古米の使用が一般的ですが、究極のシャリをお客様へ提供 すべく、「米の表面に潤いを与えるため、1分単位で浸水時間を微調整する」「営業時間中に4、5回炊いて、常に食べ頃のシャリは切らさない」など、それぞ れのこだわりを持っています。そして、「魚の見分け方は、もはや感覚の領域」という、良質の魚を見分け、仕入れることも鮨職人の腕の見せ所。シャリとネタ を絶妙に調和させるため、いかに魚の旨みに米がしっかりとこたえることが出来るか。「シャリ炊き三年、合わせ五年、握り一生」と言われる鮨の世界。鮨職人 は鮨道を極めるべく、飽くなき追求の日々が続きます。

 シャリの極意、ネタの目利き、握りの技術など、鮨職人の仕事は熟練と勘が重要視され、感性と洞察力亡くして存在し得ず、職人技を言語化して教えることに は限界があります。つまり、「見て盗む」「肌で感じる」以外に習得の道はありません。それらは鮨職人としての修業を共有しないと得られない主観的な知識 「暗黙知」の世界といえ、熟練鮨職人の持つ暗黙知を若手が受け継いでいくという風習こそ、鮨の文化といえます。日本ではロジカルな考え方や表現を基盤とす る「形式知」よりも、あうんの呼吸や共感などから得られる「暗黙知」を大切にする伝統があり、これこそ、日本が技術大国、職人大国を築き上げてきた礎では ないでしょうか。

 このように、鮨は日本の食文化としてさらなる進化を遂げていますが、鮨店は、鮨職人とお客様がカウンター越しで会話をしながら食すということも、日本独 特の食文化です。お客様の前で鮨職人が手で握り、目の前で出すという所作は、他の飲食業界とは決定的に違う性質を持った商売です。お客様との対面形式のた め、鮨職人の人間味や熟練の作法なども鮨の味覚の一つとなり、鮨職人とお客様との「対話」によって、技術や味覚が高められていきます。握った鮨に対し、即 座にお客様の反応を聞くことが出来るという究極の「顧客主義」は、モノづくりの本質であり、鮨の文化を発展させた大きな要因とも言えます。

 前出のミシュラン総責任者ナレ氏は、日本の食文化に対し、何代にも渡り受け継がれてきた伝統の継承性を高く評価し、「日本の料理人は、何十年も修行して 日本の食文化と技術を受け継ぐ熱意を持っている。そのような国は日本以外、どの国も残っていない」と話しています。日本料理の中でも、鮨は「SUSHI」 として世界共通語になっており、今や世界中の主要都市には必ず鮨屋が存在する、世界的な食へと発展しました。鮨は日本文化が凝縮された、いわば食の総合芸 術。日本人古来からの精神構造に裏付けされている鮨文化は、今後、日本文化の本質を世界へと発信し、認知されていくためのツールとしての役割も期待できま す。