[ 第30号 ] 新潟の守り神を祀る弥彦神社

   新春のお喜びを申し上げます。旧年中は過分のお引き立てを賜り、誠にありがとうございました。昨年9月、私の叔父である玉川宣夫(玉川堂五代目次 男)が重要無形文化財保持者(人間国宝)、ならびに、燕市栄誉市民に認定されました。1816年の創業以来、多くの方々の支えがあってこその認定と、心よ り感謝申し上げます。弊堂一同、鎚起銅器の技術を継承、発展すべく、より一層精進していく所存でございます。本年も引き続きご支援を賜りたく、何とぞよろ しくお願いいたします。

   日本海側最大の平野、新潟県・越後平野の中央にひときわそびえ立つ「弥彦山」。標高634mは東京スカイツリーと同じ高さということで、新潟県内で話題 になっていますが、隣接の多宝山も634m。世界的にも珍しいと言われる同じ標高の山が2つ鎮座します。弥彦山は広大な越後平野に突き出し、周辺のどこか ら眺めても秀麗な山容です。日本百名山には選定されていませんが、1964年に「日本百名山」を発表した深田久弥氏は、その著書の後書きにて弥彦山を褒め 称え、「名山に違いないが、絶対的な標高が足りなかった」との内容が記されています。

   新潟県内は神社が多数点在し、神社の数は日本一。明治時代、新潟県の人口は日本一であり、集落ごとに神社を建てたことが要因と言われています。中でも弥 彦山の麓に位置する弥彦神社は、全国屈指の大規模神社であり、越後一ノ宮として広く信仰を集め、皇室の祖神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の曽孫 「天香語山命(あめのかごやまのみこと)」をまつられた神社として知られています。また、日本最古の万葉集(7〜8世紀)には神格化された弥彦神社を詠ん だ歌が2首あり、当時から中央にも弥彦神社の名声が広がっていたものと思われます。

   昨年はパワースポットブームに沸いた1年でしたが、新潟県最大のパワースポットとして全国的に紹介されたのが弥彦神社です。癒やしを求めて訪れる女性客 が急増し、観光客は前年比約20%増に。特に弥彦山山頂には縁結びの名所「御神廟(ごしんびょう)」という奥社があり、弥彦神社の神様・天香具山命と妃 神・熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)が仲良く祀られており、ウルトラ級のパワースポットとして人気を博しています。ここからの眺望は素晴らしく、広 大な越後平野、紺碧の日本海、雄大な佐渡島を一望出来、そして、夜景は言葉を失うほどの美しさ。その珠玉の夜景は、「全国夜景100選」「日本夜景遺産」 にも登録されています。

   新潟県内で最初に太陽に照らされるのも弥彦山山頂。昔、早朝から農作業を行っていた農民たちは、朝日に輝く弥彦山に手を合わせ、弥彦山に五穀豊穣を願っ ていたと言います。また、弥彦山山頂の日本海側すぐ下には、江戸時代から大正時代にかけて、日本有数の良質な銅を産出した「間瀬(まぜ)銅山」が存在し、 燕の金属加工業に携わる職人たちは、弥彦山山頂へ向かって感謝の意を込め、毎日拝んでいたと言います。弥彦山から産出された銅が燕へ運ばれ、燕は銅の素材 を活かした商品開発を行い、現在の世界的金属加工産地・燕の礎を築きました。弥彦山の存在なくして、今の燕は語れません。

  「五穀豊穣」「商売繁盛」「家内万福」などのご利益があると言われる弥彦神社。本日午前中、弥彦神社へ初詣に行ってきましたが、新潟では珍しく晴れ間が 広がり、新たな年に想いを込めた参拝者で身動きが取れないほど大変な人出でした。弥彦神社は弥彦山全体を神域としており、新潟の守り神が祀られ、私たち新 潟県人にとって心のふるさと。その存在は大きなものがあります。今日も旭光を受けて神々しく輝き、神威に満ちた弥彦山は、幾世を経ても変わらないものは自 然、そして人の情けであることを教えてくれるかのよう。今年も弥彦山への感謝の気持ちを忘れることなく、職人道を歩んでいきたいと、心新たにしておりま す。