[ 第35号 ] 近代デザインの父 ≪ウィリアム・モリス≫

    産業革命による機械化大量生産、大量消費の時代に、「生活に必要なものこそ美しくあるべき」と主張し、手仕事の重要性を説いたイギリスを代表する世界的デザイナー、ウィリアム・モリス(1834〜 1896)。「芸術を生活の中へ」を理念に掲げ、失いかけた職人技を駆使し、壁紙、テキスタイル、家具、書籍などに人や自然を愛する思想を反映させた、生 命力溢れるデザインを取り入れました。それらは多くの人々の心を惹きつけ、手工業の革新を通して芸術を再生させる動きが世界中に広がっていきます。モリス のデザインは、後の20世紀の産業界に幅広い影響を与えており、「近代デザインの父」として、今もなお、普遍的な美しさを私たちに伝えています。
  18世紀後半、イギリスで興った産業革命。その影響は世界中に広がり、工場制機械工業の産業が活発化しました。工場経営者、産業資本家らが政治経済の主導 権を握るようになり、やがて資本主義の時代が到来します。機械化によって物資が豊かとなり、ライフスタイルは近代化され、経済は飛躍的な発展を遂げる一 方、伝統的な手工業は衰退し、職を失った職人たちは機械工場の労働者として働くことに。効率化優先の機械的な労働を強いられ、市場は安価で粗末な量産品が 幅を利かせ、結果、人々は精神的な豊かさを消失。さらには、自然破壊、都市過密化などの社会矛盾も生じるようになりました。
  激変する社会環境に大きな疑問を感じたモリスは、産業革命前の労働の喜びや手仕事の美しさを取り戻し、自然環境と人間性回復の両立を図るべく、多分野の職 人を集結させた「モリス商会」を設立。また、クラフトマンシップ(職人魂)を甦らせ、生活の芸術化を目指し、生活と芸術を統一させることを目的とした 「アーツ・アンド・クラフツ運動」を展開しました。この運動はイギリス国内に留まらず、世界各国にも広がり、日本では柳宗悦の民芸運動へと発展していきま す。さらに、モリスが育んだデザインは、後のアールヌーボーを誕生させ、デザインを通じて豊かな社会環境を復活させると共に、世界中の人々の生活に潤いを 与えました。
   さて、当時のモリスの作品を一堂に鑑賞できるのが、ロンドンの装飾芸術の殿堂「ヴィクトリア&アルバート美術館」。私のお気に入りの美術館の一つです。 特にモリスの部屋「グリ−ン・ダイニング・ルーム」は圧巻で、部屋全体に広がる草花や樹木をモチーフとしたファブリックスや壁紙は、生活の細部まで薫り高 いアートで満たすことを夢みたモリスの息遣いが聞こえてきます。「美しいと思わないものを家においてはならない」というコンセプトの基、生活の中に美を追 求するモリスの世界観には感服するばかり。この部屋には、手仕事から生まれる自然に根ざした真の美しさが表現され、今もなお、新鮮な魅力に満ち溢れていま す。
  モリスのデザインは、日本国内においても人気を博しており、百貨店やインテリアショップなどで、モリスのデザインの食器やインテリア用品などが販売されて います。その独創的なデザインと美しい色彩の組み合わせに魅せられ、年齢を問わず、熱狂的なモリスファンが多数おられるとのこと。自然の持つ美しさを取り 入れたモリスのデザインは、日本人が古来から愛してきた花鳥風月がモチーフのため、日本人にも親近感が沸くのでしょう。さらに、モリスのデザインには、産 業革命で失われつつあった「クラフトマンシップ」が注入されており、その精神が今の日本の社会に受け入れられているのかもしれません。
  産業革命による工業化は、世の中の価値観やものづくりの考え方を大きく変革させました。それから約250年。ここ近年の現代社会の変貌ぶりは、産業革命以 上の勢いかと思われます。しかし、この度の東日本大震災によって社会構造は大きく変化し、資本主義の概念そのものが揺らぎ始めています。このような状況 下、産業革命時にモリスが訴え続けた哲学を、今一度学ぶべき時ではないかと感じています。地球や人間の環境に配慮しながら、自然、そして先人達が育んでき た伝統文化の中から美を見出し、人間が人間らしく生きていくためのライフスタイルの提案に人生を捧げたモリス。モリスを検証することは、震災後の社会のあ り方について、あらためて見直す意義深いものになると考えています。