【第215号】番頭の重要性と復権への想い

 江戸時代初期、世界最大の消費都市・江戸に大規模店舗「大店(おおだな)」が誕生すると、組織改革が行われ、「番頭」制度が誕生しました。番頭は、店の運営・お金の管理・奉公人の指導など、主人の補佐役として商売全般を担い、主人が留守の時は、店の顔としてお客様や取引先とのやり取りを行い、商売を廻しました。この番頭制度は、次第に一般の商家にも広がり、奉公人は年齢の若い順に、丁稚・手代・番頭という3段階の年功序列型の役職が構築され、商いの形態として定着していきました。しかし、1800年代に入ると、幕府の深刻な財政難や大飢饉などが重なり、大店が相次いで倒産。番頭の人事は、年功序列から能力主義へと変化し、商いの中核的存在として、番頭の役割は、より重要度を増していきました。

 番頭とは、経営者(親)と後継者(子)の間に、親子関係の無い経営幹部が指揮命令系統に介在する存在として、日本独自の制度です。経営学者による番頭の定義として、「トップの弱点を補い、意思決定と決断を補完し、その負担を軽減する役割を果たし、さらに、後継社長の教育も補佐していく役職」とし、経営者へのご意見番だけではなく、次世代への経営の繋ぎ役を果たす重要な役割を担ってきました。日本の企業は、終身雇用制・顧客との長期的良好関係・地域に根ざした会社運営など、目先の利益よりも長期的視野に立った経営を目指す傾向にあり、これが老舗企業数の世界一に繋がっています。さらに、日本は同族経営を重視し、日本企業の約97%を占める世界一のファミリービジネス王国。非ファミリーである番頭が、会社と家族の間を取り持つことで、企業の永続性に大きな影響力を発揮してきました。

 明治時代、伝統工芸は日本の最先端技術として海外博覧会で世界一の技術力と称され、最盛期の昭和50年代に約30万人存在した職人数は、現在は約5万人へと著しく減少。跡継ぎがいない、もしくは、跡を継がせたくないと回答する工房は、全国で約70%存在することから、20年後、職人数はさらに半減する恐れのある、極めて深刻な状況に置かれています。その要因として、「マーチャンダイザー」を育成してこなかったという、業界の構造的な欠陥にあります。いわゆる番頭の存在です。伝統工芸業界における番頭は、経営の指揮命令系統や後継者の育成に介在するだけでなく、常に販売の最前線に立ち、常連客の好み・家族構成・ライフスタイルを全て頭に叩き込み、それを職人へ的確に伝え、ものづくりに反映させていました。つまり、「何が売れるか」を正確に読み解く、究極の現場型マーチャンダイザーでもあったのです

 かつての伝統工芸の主人は、職人だけでなく番頭も長い年月を掛け、「売るプロ」を育ててきた歴史がありました。しかし、現在では、地元問屋が幅を利かせた旧態依然の流通体制が敷かれており、作り手と売り手が分断され、市場のニーズや顧客の声が、ものづくりにあまり反映されていません。「技術さえ良ければ売れる」「売ることは問屋へ任せている」という、職人気質ばかり空回りしていることが伝統工芸の現状であり、どれほど高度な技術を習得しても、顧客の好みに合致していなければ自己満足に過ぎません。衰退の一途を辿る伝統工芸を復興させるためには、世界市場を読み解き、顧客の好みを見抜き、それを職人へと繋ぐ「番頭」の復権が不可欠です。

 戦後、GHQの指令で、日本経済の中核を成していた財閥の解体が行われた一方、全国各地で株式会社を中心とした組織編成が盛んとなり、番頭の名称は、次第に使用されなくなりました。しかしながら、現在も番頭の名称にこだわる企業も多く存在しており、その代表事例としてトヨタ自動車が挙げられます。豊田会長は番頭の重要性を公言し、番頭の名称を大切にしていきたいとの想いから、「Executive Fellow(番頭)」は、トヨタ自動車の正式な役職名として使用されています。玉川堂においても、これまでの歴史の中で番頭が果たしてきた役割の大きさと、後世にも繋いで欲しいとの想いから、「番頭」の役職名を現在も使用しており、全国の番頭が集結する「日本番頭支援協会」にも加入。番頭のあり方と重要性を学び、そのネットワークを広げています。日本経済の影の立役者として牽引してきた番頭の存在。今、あらためてその必要性が問われており、番頭の復権を提言していきたいと思っています。