[第166号] 暮らしに息づく文様

 人々の暮らしの中に、彩りを添える文様。古代より、様々な文様が器や装飾品などに描かれてきましたが、当初は動物や人物のモチーフが中心でした。紀元前2500年頃、メソポタミア文明の金製品(鍛金)は、牛などの動物、紀元前1300年頃、古代エジプトの金製品(鍛金)は、ツタンカーメン黄金のマスクなどの人間がモチーフとなって、華やかな黄金文明を構築しました。さらに、紀元前1000年頃、古代中国では青銅器(鋳金)が最盛期を迎え、龍や鳳凰など、シンボルとしての意味が込められた動物の文様が現れ、後の日本の伝統文様に大きな影響を与えたのです。さらに、植物の文様が初めて登場したのは、紀元前500年頃、古代ギリシャの建築を象徴する柱頭装飾です。植物文様の登場によって、古代の人々の感性は大きく刺激され、文様に対する意識が高まり、以降、植物を模した表現は多彩に広がり、大きな進化を遂げていきます。

 古代より、欧州で最も使用されている文様は、葉薊(はあざみ)の一種である「アカンサス」です。上述の古代ギリシャの柱頭装飾で初めて使用された文様ですが、以降、世界における柱頭装飾の基本形式となって現代に受け継がれ、日本でも国指定重要文化財である日本橋・三井本館をはじめ、全国多数の柱頭装飾に使用されています。また、建築のみならず、工芸、家具、絨毯など、様々なジャンルにも用いられていることから、花言葉は「芸術」「技巧」であり、私たちものづくりに携わる者にとって、まさにデザインの原点とも言えます。アカンサスは、日本おいて馴染みの薄い植物ですが、地中海沿岸を中心に分布する大型の常緑多年草で、アカンサス文様の発祥国であるギリシャでは、国花として指定されています。

 日本の文様が発展する上で、飛鳥・奈良時代は重要な時代区分となります。唐の進んだ文化を学ぼうと遣唐使を派遣し、その留学生によって茶、薬、仏教などと共に、文様も奈良へ移入されました。それらは、日本には存在しなかった感性豊かな文様であり、その後の日本文化の発展に大きな影響を与えました。その代表格は、「唐草(アラベスク)」です。「唐」から持ち込まれた「草」の文様であることから、「唐草」という名称が付けられました。起源は古代オリエントで使用された曲線の文様ですが、古代ギリシャにおいて文様として確立し、シルクロードを経由しながら国ごとにアレンジされ、シルクロードの終着点・奈良へ伝わったわけです。蔓性の植物をイメージしており、生命力が強く、途切れることなくその蔓を伸ばしていくことから、一族の繁栄や長寿を意味する吉祥文様です。その縁起の良さから、唐草文様の風呂敷は日本のロングセラーであり、日本を代表する文様として親しまれています。

 19世紀、イギリスで活躍した近代デザインの父・ウイリアムモリス。文様という概念があまり浸透していない世の中、そのあり方を広く世界へ知らしめた功労者です。当時、産業革命の影響で機械化大量生産が浸透し、安価な粗悪品が氾濫していた世の中、「生活に必要なものこそ、美しくあるべき」と説き、生活と芸術を統一する「アーツ・アンド・クラフツ運動」を展開します。その活動の中で、自然の樹木や草花をモチーフとした新感覚の文様を次々と生み出し、家具、壁紙、カーペットなどのインテリア製品に用いると共に、伝統技法の復興にも尽力しました。人間の手仕事による、自然に根ざした美しい文様を追求するモリスの思想は、欧州ではアールヌーボーへ、そして、日本では柳宗悦の民芸運動へと引き継がれ、文様の発展のみならず、手工業の発展にも多大なる功績を残しました。

 ギリシャの雅やかな唐草が、簡素化され日本の唐草へ変換したように、文様はその国によってアレンジが加えられているものの、古来より東西の文化で隔たることなく融合し合い、世界中の人と人との心を繋げ、現代の私たちの暮らしの中に息づいています。工芸の世界においても、世界中で様々な文様が器の表面に描かれましたが、無数に存在する文様の一例として、「とんぼ(勝ち虫)」「ひさご(無病)」「うろこ(再生)」「ぶどう(子孫繁栄)」「雪(豊作)」などが挙げられます。それらの文様の由来をさらに深掘りすると、文化や風習から生まれた歴史的背景、天災や戦争などの社会的背景などがあり、そこには世界平和、家内安全、心願成就などの先人たちの想いや願いが込められています。文様とは、その想いや願いが形となって生活に溶け込み、視覚的に人の心情に訴えるものであり、そこからは心穏やかに豊かな生活を送るための先人たちの知恵が浮かび上がってくるのです。