[第164号] 薬罐から湯沸へ、心豊かな生活を支える道具

 お茶は奈良時代に最澄と空海らの遣唐使が、大陸から茶の種子を持ち帰ったことが日本での始まりとされています。当時、茶葉を蒸して突き固めた団茶を使用しており、それを煮出して飲んでいましたが、鎌倉時代に入ると、栄西が中国・宋から抹茶を持ち帰り、お湯を加えてお茶を飲む風習も生まれました。いずれも嗜好品ではなく薬として飲用されており、お湯を沸かす道具は銅や鉄の茶釜や鍋などが使用されていましたが、同じく鎌倉時代、茶釜の代用として、注ぎ口と持ち手の付いた薬罐(やかん)形状の素焼き土器が登場し、これが薬罐の原点とされています。鎌倉時代末期には、武士階級を中心に薬でなく嗜好品としてお茶を楽しむ風潮が生まれ、安土桃山時代に入ると「茶の湯文化」として日本茶文化は大きく開花します。そして、江戸時代初期、中国から煎茶と急須が移入されると、次第に庶民もお茶を楽しむ文化が育まれ、そのような背景から、1700年〜1800年にかけて全国各地で銅や鉄の素材を使用した薬罐が開発され、次第に日本人の生活道具として根付いていきます。

 江戸時代、日本は世界一の銅産出国であり、全国各地で銅が産出されていましたが、その銅の多くは大阪に集められ、当時、世界最大の銅精錬工場「大阪銅吹屋」にて、精錬されていました。その銅は全国の各藩に運ばれ、銅器職人に渡りましたが、一部の銅はオランダと中国などにも輸出され、長崎の輸出額の半数を銅が占めていた時期もありました。大阪銅吹屋の周辺では、延べ人数で1万人以上の銅器職人が存在し技を競い合っていたとされ、大阪は銅器産地として大いに栄えていました。江戸時代初期は銅貨製造や銅細工が中心でしたが、1700年以降、庶民生活にも深く関わるようになり、薬罐を中心とした生活道具の製作も始まりました。現在、大阪の銅器職人はほとんど残っていませんが、江戸時代の大阪の銅器職人は、渡り職人として全国各地へ移住して銅器製作を行ったことから、薬罐製作も各地で行われ、次第に日本人に欠かせない生活道具として根付いていきます。

 玉川堂は1816年の創業で、当時は「也寛屋(やかんや)覚兵衛」という称号で、地元住民のための薬罐を主力商品とし、銅器製作を行なっていました。近郊の弥彦山から銅が産出され、燕は銅器産地として発展していきますが、一時期は、大阪から日本海経由で銅が運ばれていたものと思われます。この燕銅器のルーツは仙台にありますが、さらに遡ると大阪になります。仙台藩には当時銅器職人が多数存在しており、現在の仙台市にあるリフォーム会社(株)タゼンの当時5代目(現19代目)もその一人でした。1750〜60年代、タゼン5代目から銅器製作を学んだ藤七(とうしち)という渡り職人が1768年に燕へ移住し、燕に薬罐などの銅器製法を伝えたことから、彼は燕銅器の祖とされています。タゼン19代目によると、タゼン初代は大阪の銅器職人で活躍した後、渡り職人として大阪から仙台へ移住しており、藤七は浄土真宗の繋がりで仙台から燕へ移住したとの説が有力で、このような背景から推測すると、江戸時代の寺檀制度以降、仏教のネットワークで庶民の移住が盛んに行われ、結果、銅器の技術も全国へ広まったと考えられます。

 「やかんや」から始まった弊堂は、200年以上、薬罐を主力商品として事業を営んできました。江戸時代までは名称を「薬罐」としていましたが、明治時代に入り「湯沸」と名称を改めました。伝統工芸業界における「薬罐」の名称は、銀器工房は「銀瓶」、鉄器工房は「鉄瓶」が一般的ですが、銅器工房は銅瓶と称さず「湯沸」が一般的です。弊堂の湯沸の特徴は、大きく3つ挙げられます。①お湯がまろやかに。殺菌作用によって水の浄化をする作用があり、お茶やコーヒーに最適です。②熱伝導の良さ。鉄の5倍、ステンレスの25倍の熱伝導によって、お湯が早く沸きます。③乾拭きをすることで色合いが深まる。私が長年、様々な銅器を使用してきた中で、湯沸が最も色合いが深まると感じています。中火もしくは弱火で使用し、銅器に熱が加わることでより一層の円熟味を帯び、「雅味」という言葉がしっくりと当てはまります。

 日本の茶文化の発展と共に、お茶を楽しむ道具として、湯沸は生活に欠かせない道具となりました。弊堂の湯沸は、お湯を沸かすための道具としての機能美追求と共に、銅山として燕の産業を支えた、弥彦山の雄大な景色からフォルムの発想を得ており、地域の風土と共に、約200年もの間、湯沸の製作技術を継承してきました。工芸品は地域性が反映されますが、それは風土がもたらす素材や暮らしの営みだけでなく、その風土によって豊かな感受性が育まれ、器のフォルムにも表現されるものです。使うほどに色合いが深まる弊堂の湯沸。代々愛着を持って継承され、親から子への心の架け橋となって欲しいとの願いを込め、ブランドメッセージは「打つ。時を打つ。」と掲げました。常に変化し移ろう流行の中にこそ、使い捨てではない継承される道具の存在が、今ますます求められていると感じており、生活をする上で欠かせない道具の一つである湯沸の、使い込んで味わいを得ていく道具の変化の楽しみを、弊堂の湯沸を通じて感じていただければ幸いです。