[第141号] 北大路魯山人の食と美の精神に今学ぶこと

 料理とは「理(ことわり)」を「料(はかる)」ことである、との名言を残し、日本の食と美を追求した北大路魯山人。関東大震災後、無傷で残った東京・赤坂「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を大正14年(1925年)に入手し、日本初の会員制料亭として事業を開始。「食器は料理の生命」であるとし、料理長を務める傍ら工芸品の製作、星岡茶寮の空間に合わせた書、絵画などの創作活動にも精を出し、料理家・陶芸家・漆芸家・書家・画家として、マルチな才能を発揮しました。料理業界や美術工芸業界のみならず、人気漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデルとしても広く国民に認知され、その類まれなる多才なキャラクターに、今尚多くの人が魅了され続けています。

 日本料理の世界を革新させ、魯山人の美意識を体現する空間を構築すべく開業した「星岡茶寮」は日本一の料亭と評価され、各界の著名人が足繁く通い、政治の裏舞台としても利用されていました。当時の料亭は、美味しい料理を食べるというより、仲居の女性から注がれたお酒を楽しむ所であり、料理は脇役の存在でした。しかし、料理は主役であると、魯山人は仲居にお酌をさせることはせず、純粋に料理を楽しむことを徹底させました。仲居も、一流の所作を身に付けたい名家の女性を集め、工芸、書、絵画、掛け軸などの定期的な勉強会を行い、さらには、星岡茶寮を会場に作品展を行うなどし、日本料理のみならず美術工芸の分野でも広く認知されるようになったのです。

 「料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけない」。魯山人の日本料理に対する理念です。「味に自信なき者は料理に無駄な手数をかける」とし、新鮮な食材に極力手をかけず、その素材力を活かした料理が提供されていました。さらに、当時の日本料理の形式は、本膳と脇に置く二の膳にたくさんの料理を並べましたが、その素材を活かすためには鮮度が重要であると、一品一品運ぶスタイルを採用し、日本におけるコース料理の先駆けとなりました。また、流通が発達していない時代に、例えば京都の鮎を生きたまま仕入れるなど、東京では入手不可能とされていた食材を鮮度の良い状態で大胆に用いて、お客様を驚かせました。鮮度の高い地方の名産品を取り寄せ、東京で食すスタイルも、星岡茶寮が先駆けです。

 「すべての物は天が造る。人はただ自然をいかに取り入れるか、天の成せるものを、人の世にいかにして活かすか」。魯山人は常に生活の中心に自然があり、その自然こそが芸術の師でもありました。自然美の中には本当の美の根源があり、どんなに最高の芸術作品と言えども、自然の美を超えるものはこの世には存在しないとし、さらに、「自然に対する素直さだけが美の発見者である」とし、クリエイティブに関わる全てのことは、自然を観る眼を養うことが重要であると説いています。そんな魯山人を通して生み出された作品から発せられる空気感は彼独自のもので、私たち工芸を志す者が得る学びは深く、世界中の工芸愛好家からも熱烈な支持を受けています。

 「陶=当意即妙の連続」「書=下手形の上手が良い」「茶=美的趣味総合大学」「食=器は料理の着物」。二十代初めに書の才能で注目され、それから工芸や絵画など様々なジャンルに挑戦し、それぞれに名品を生み出してきた総合芸術家・魯山人。無遠慮、気難しい性格で、孤高の芸術家と言われながらも、生涯を通じて自然美礼賛を貫き、自由奔放に己の理想とする美を追い求めてきました。これも全ては日本料理の世界を革新すべく、星岡茶寮においてお客様へ最高の食を、そして最高のおもてなしを味わっていただきたいという一心でした。魯山人の器を眺める度に、私たちを取り巻く自然への眼差しが改まるのと同時に、美とは何かを全身全霊で問い続けてきた魯山人の精神が、作品を通して現代のものづくりのあり方を問うている思いがするのです。