[第127号] 祈りの心を工芸に、モダン仏壇の可能性

 仏壇には日本の伝統工芸の職人技が凝縮されています。木地・彫金・彫刻・漆・蒔絵・金箔・表具など、あらゆる職人技が分業体制で、仏壇というアート作品を仕上げていく、日本が誇る総合芸術です。仏教は6世紀に中国から日本へ伝わり、7世紀から武士や貴族が自宅に仏壇を保有したことで、日本独自の文化として脈々と継承されてきました。庶民の家が仏壇を持ち始めたのは江戸時代からです。1635年、徳川幕府がキリシタン禁制を徹底するために寺請制度を実施したことで、全ての日本人が寺院の檀家となり、仏壇を持つことを命じられました。これにより仏壇の需要が一気に高まり、仏壇職人へ転業する庶民や冬場の内職者が増え、全国に仏壇産地が形成されるようになりました。

 新潟県のテレビCMは仏壇会社のものが多く、全国一の本数とも言われるだけあって、新潟県民にとってはお馴染みの光景です。全国の伝統工芸品232産地のうち、仏壇は現在17産地指定され、そのうち「新潟白根仏壇」「長岡仏壇」「三条仏壇」の3産地は新潟県であり、新潟は仏壇王国でもあります。燕三条は江戸時代より金属加工産地として発展してきましたが、同じく江戸時代より仏壇産地としても発展し、現在も多数の仏壇職人が技を磨いています。中でも三条市は、本成寺、本願寺別院をはじめとする大規模な寺院が多く、「仏都三条」と言われるほど仏教の盛んな地域。燕三条の職人たちは、それら寺院の建立の度に派遣されてくる京都の優秀な職人に寺院や仏壇の製作技術を学び、金属加工の町燕三条を仏具の分野でも牽引して来たのです。

 日本人の年間死亡者数は2002年に100万人を超え、現在は約130万人、2030年には約160万人と年々増加することが予測され、葬儀業界はさらなる成長が見込まれる一方、仏壇業界は日本人の仏壇離れによって苦況が続いています。そのような状況下、洋室やマンションにも適した小型でデザイン性に優れたモダン仏壇の需要は、増加傾向にあります。積極的にデザイナーを登用し、様々な業界との協働で開発されたモダン仏壇の数々は、もはやインテリア家具のようで、新たな顧客層の取り込みに成功しています。また、それらに対応した花器、線香立などの仏具デザインの進化にも目を見張るものがあり、この分野は富山県の高岡銅器が高いシェアを占めていますが、ガラス、陶磁器、漆器など、仏具に新たな可能性を見出す伝統工芸メーカーが次々と参入。仏壇業界は新たな時代を迎えようとしています。

 そして、仏壇会社が自社の仏壇技術を活かした商品開発を行う事例も増えてきました。仏壇技術を生かした食器、家具、照明器具などを開発し、国内外のリビングや家具の国際見本市に出展、新市場を開拓するという試みです。仏壇会社は伝統工芸の様々な技術を保有しており、ブランディング次第では、仏壇以外の新市場で大きく成長する可能性を秘めています。また、燕三条では金属酒器に蒔絵技術や漆技術を活かすなど、燕三条の金属と仏壇の職人連携が行われています。燕三条の金属加工には、金属と仏壇の職人が共に切磋琢磨し繁栄してきた歴史があり、産地内連携はこれからの燕三条の新たなものづくりのあり方として、今後も多種多様なコラボ企画が期待されます。

 仏壇が誕生してから約1300年もの間、先祖代々の心の架け橋となり、日本文化として脈々と継承されてきたものの、近年は核家族化、住宅事情、無宗教などを背景に、仏壇を持たない家庭が増え、仏壇に対する意識は希薄になりつつあります。今、日本は未曾有の高齢化社会を迎えています。先祖を、そして将来、親をどのようにして祀っていくのか。その需要に応えるべく、仏壇業界が業界の変革期として打ち出したモダン仏壇。さらには、代々受け継がれてきた仏壇を解体し、主要なパーツを生かした小型な仏壇に再生する継承仏壇にも人気が高まっており、近年仏壇のスタイルは大きく変化しています。仏壇に手を合わせる心。その本質は、今の自分の来し方を支えた存在に思いを馳せ、感謝を念じる事を日々の中で繰り返し忘れぬ事でしょう。今、日本人が仏壇を見直すことは、そうした日本の心を継承すると同時に、先祖を慈しむ心を丁寧に表現した工芸技術の新たな可能性を見出すきっかけになると考えています。