[第123号] 設立100周年 ~ドイツのバウハウスに今学び直すこと~

 「バウハウス」は第1次世界大戦後の1919年、ドイツのワイマールで設立された国立の総合芸術学校で、ドイツ語で「建築の家」を意味します。教授陣はその業界の有力者が集結し、建築、絵画、工芸、彫刻などの教育が展開されていましたが、当時の政治状況により、1933年に閉鎖を余儀なくされました。わずか14年間という短い期間でしたが、バウハウスの存在によって近代建築の幕開けが実現し、さらには現代デザインの基礎が確立されました。バウハウスは一種の革命とも言え、その後の建築業界やデザイン業界に多大な影響を及ぼし、今もなお、その影響力を発揮し続けています。

 バウハウス誕生の背景には、工業化が進み、効率だけを優先して大量に造られた粗悪品が増えている社会への危機感がありました。「芸術と技術の統一」を教育理念として芸術と産業の融合を目指し、失われつつある職人の地位向上と製品の美的向上を図るべく、先進的な教育が実践されました。中でも重視したのは機能主義で、「形態は機能に従う」というコンセプトのもと、機能を追求した結果デザインが生まれるという「機能美」のあり方を追求。時代が大きく工業化へ移り変わろうとしている最中で行われたバウハウスの教育は、当時としては極めて異色の存在でした。

 バウハウス校長で建築家の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエが残した2つの名言は、バウハウスの教育のあり方を端的に示していると言えます。「Less is more.(より少ないことは、より豊かなこと)」。本当に必要なものだけを残すという引き算のデザインを重視し、取り除くものが無くなった本質のみを表現することで、普遍的なデザインが生まれます。「God is in the detail.(神は細部に宿る)」。細部への徹底したこだわりが作品のクオリティを決定付けるとし、細部が全体の完成度に及ぼす影響力の高さを説いたのです。

 日本では柳宗悦が同様の危機感を感じ、手仕事の価値を高めて「用と美」という新たな美の基準を世に広めましたが、バウハウス設立の時期は、柳宗悦が民藝運動を展開した時期とほぼ同時期に当たります。ヨーロッパと日本でそれぞれ文化的、社会的な相違があり、そして啓蒙活動の形態や内容も異なるため、単純に共通性を見出すことはできませんが、いずれも産業革命がもたらした工業化により失われゆくものづくりの文化的価値への危機感が根底にあります。ものづくりの本質を問い、ものづくりの視点から現代社会に警鐘を鳴らすバウハウスと民芸運動の精神は、世の中が近代化するにつれ陳腐化するどころか、ますます脚光を浴びているように思えます。

 来年2019年、バウハウス設立100周年を迎えるにあたり、早速、ドイツでは今年から様々な100周年事業が展開されていますが、日本でも「100周年委員会」が設置され、2020年までの3年の間に「バウハウス100ジャパン」というプロジェクト名で、来年2019年8月の新潟展を皮切りに全国主要都市でバウハウス展の開催が予定されています。バウハウスの軸となった全ての芸術と工芸を統合する「総合的造形教育」への試みは、改めて今ものづくりに携わる我々に、自らが手掛けるもののその細部を感じ直し、その造形の調和に日々心を注ぐことの大切さを問うているように思うのです。