[第165号] 魂を吹き込む表現 古代中国の青銅器

 人類が初めて石器を開発したのが、約330万年前とされています。考古学では、そこから「旧石器時代」と称していますが、さらに「中石器時代」「新石器時代」を経て、紀元前3000年頃、金属を道具として使用する初めての時代区分「青銅器時代」が始まります。古代メソポタミアにおいて銅に錫を約10%配合させた合金「青銅」が開発され、単体の金属より強度が増したことから、主に武器や農工具などを製作。以降、古代オリエントの広域に鋳造技術が伝わると、本格的な青銅器時代に突入し、次の「鉄器時代」へ移行する紀元前1200年頃まで続きます。生活道具が石器から青銅器になったことで、軍事的優位性、農業生産効率の向上が高まり、農耕民が集住して出来た都市は国家を形成するなど、青銅器の存在は、古代文明の発展に大きな影響を及ぼしました。青銅器は、石器では不可能であった複雑な形状を創り出すことが出来たため、社会を大変革させる無限の可能性を秘めていたのです。

 武器や農工具としての青銅器の技術が、古代中国へ伝わったのは紀元前1700年頃です。青銅器時代の始まりから1000年以上経過していましたが、酒器や食器など、工芸品的要素を加えた新たな青銅器を開発し、青銅器時代史上、比類の無い発展を遂げました。その技術力の高さは現代の知見を超えており、特に繊細な文様の付け方などは、現在の鋳造技術の専門家でさえ、どのように製作したのか、詳しくは解明出来ていません。青銅器時代の最古の遺跡は、王朝が存在した「二里頭遺跡(河南省)」ですが、周辺で原材料の銅などは産出されておらず、遠く1000km以上離れた地域から運ばれてきました。材料調達から製造に至るまで、全ての工程を賄うためには、国家組織でなければ成り立たず、青銅器の所持は権力を持った支配者層に限定され、権威の象徴となりました。

 古代文明において青銅器は重要な役割を果たしましたが、各文明によって製作の目的は異なります。古代オリエントの主な製作は、武器や農工具であったのに対し、古代中国での主な製作は、「祭祀」に使用するための酒器や食器など器物でした。農工具や武器は、装飾性より道具としての機能が優先されましたが、古代中国では神と人が融和する「祭器」であることから、徹底して芸術的要素を加えることに注力していました。つまり、この製作目的の相違が、青銅器の技術レベルの差に繋がったと考えられます。なお、古代中国の青銅器時代では、戦争・農耕などの万事が占いの対象となり、国王が主宰者となって神意を占い、その占い通りに政策を決定する「祭政一致」の神権政治でした。人々は神への畏敬と信仰心が極めて強く、その神を崇めるための儀式として祭祀が行われていたため、青銅器の製作には並々ならぬ情熱が表現されており、もはや神秘的な世界観が漂っています。

そのような背景から、青銅器に表現される文様も単なる装飾の域を超えており、高度な技術力を駆使した、極めて繊細で緻密な文様が施されています。基本的には、神への崇拝を背景とする空想上の動物が表現されており、最も多い文様が、怪獣の顔面を文様化した「饕餮文(とうてつもん)」です。神を象徴する文様であり、最も格の高いモチーフとして大流行しました。そして、中国を代表する伝統文様である龍・鳳・麟・亀の「四霊(しれい)」の中で、「龍」と「鳳」が青銅器の文様として多用されました。「龍」はあらゆる動物の祖とされ、原形は蛇や鰐に求める説があり、動物の頂点に君臨する最高の吉祥として崇められています。そして「鳳」は鳥の王であり、雄は「鳳」、雌は「凰」と称されます。太平な世の時にだけ姿を現すとされ、鳳凰が飛ぶ時は、その徳によって天災や人災は起こらないとされました。

 祭祀用として開発された食器と酒器は、現在の生活道具の原形となる形状が数多く顔を揃えています。それらの器の数々は、今の私たち伝統工芸の意匠のルーツとなっており、その形状を学ぶことは、ものづくりの原点を知ることにも繋がります。また、古代中国の青銅器時代に漢字が生まれ、青銅器に文章を刻む風習も生まれました。当時、銅を「金」と称していたことから、青銅器に刻まれた文字を「金文(きんぶん)」と称しています。「子孫代々、永年に渡り宝のように大事にしなさい。」と刻まれている金文もあり、この頃から、銅器を代々受け継いでいくという風潮も生まれました。以前、社員研修として日本有数の中国青銅器コレクションの一つ「根津美術館(東京・南青山)」へ、職人と共に訪問したことがありました。銅器から溢れんばかりの気勢を感じ、古代中国の銅器職人たちのものづくりへの情熱に深く感銘を受け、ますます製作意欲を掻き立てられたことが、今も脳裏から離れません。