[第117号]用を突き詰め美の根源に迫る〜民藝

「素朴な器にこそ驚くべき美が宿る」。名も無き職人による手仕事の美しさを讃え、それらは美術工芸品に劣らない価値のあるものと評価し、「民藝」と名付けた柳宗悦(1889-1961)。民藝とは「民衆的工藝」の略語で、1925年(大正14年)、柳宗悦によって作られた造語です。当時の工芸界は、絢爛豪華な観賞用作品の製作が主流でしたが、柳宗悦は名も無き職人が製作する日常使いの器や生活道具にも美術工芸品に劣らぬ美しさがあり、それらにも美的価値を見出していこうと考えました。当時は工業化が進み、大量生産の製品が生活に浸透しつつあり、同時に日本各地の手仕事の文化も失いつつある時代でした。近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らし、物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを追求し、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチら、柳宗悦の思想に共鳴する陶芸家と共に全国各地を回り、その地域のものづくりを調査・収集、さらには職人も指導しました。こうした活動は「民藝運動」と呼ばれ、手仕事の価値を高め、新たな美の基準を世に広めていきました。

 柳宗悦が定義した「民藝」には、8つの基準があります。1.「実用性」観賞のためではなく、実用性を備えていること。2.「無銘性」無名の職人によって作られ、名を上げるための仕事ではないこと。3.「複数性」民衆の需要に応じるため、数多く作られたものであること。4.「廉価性」民衆が日用品として購入できる、安価なものであること。5.「地方性」色、形、模様などに土地の暮らしに根ざした地域性があること。6.「分業性」量産を可能にするため熟練者による共同作業で作られていること。7.「伝統性」先人が培ってきた技術や知識の蓄積に則っていること。8.「他力性」個人の力よりも気候風土や伝統などの他力に支えられていること。明治以降、海外博覧会の影響によって、工芸は超絶技巧とも呼ばれる観賞用の作品に価値が見出されていく中、この新しい美の基準の提言は、当時としては大変画期的なことでした。こうして柳宗理は、日本のものづくりの世界へ、新しい美の見方や美の価値観を啓蒙させていくのです。当時は玉川堂も、彫金技術を生かした絢爛豪華な花瓶や香炉などを中心とした製作から、再び実用本位の器へと移行した時期でもあり、柳宗悦の影響は少なからずあったのかもしれません。

 駒場東大前駅近くの閑静な住宅地に位置する民藝運動の拠点「日本民藝館」。1936(昭和11)年に開館した館内には、全国津々浦々を歩きながら柳宗悦が自らの眼で選び収集した約1万7000点の民藝品が保管され、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、国内外の多くの人々に共感と感動を与えてきた博物館です。柳宗悦は美しいものが生まれるための条件の一つとして「無心」を挙げています。つまりそれは、無意識でひたすら作業を行うことを意味しています。職人達は指示された製品を出来る限り素早く、そして出来るだけたくさん作り続けました。新しい図柄を取り入れようなど、試行錯誤している余裕は全くなかったのです。無心で同じものをたくさん作れるということは、技術を完全に身に付けたことになり、柳宗悦は無心で作られたものの中にこそ、デザインに無駄のない、本当に美しいものが生まれると語っています。私も何度も訪館しましたが、民衆の暮らしの中で用いられてきた生活道具の数々は、まさに「無心」が凝縮されており、純粋な美の存在をより輝かせる博物館、感受性を刺激する博物館です。

 高度経済成長で機械製品が主流となっていく中、手仕事の分野だけでなく、工業デザインにも民藝の精神を浸透させるべきだと考える人物が現れました。戦後日本の工業デザインの確立と発展における最大の功労者、柳宗悦の長男・柳宗理(1915-2011)です。彼は、工芸品は手づくりの美しさを追求すべきで、工業製品は機械生産の美しさを追求すべきであると説きました。「本当の美は生まれるもので、つくり出されるものではない」。消費を煽るようなデザインは、本当のデザインではないという信念のもと、美の根源は民藝にあり、そこからものづくりのあるべき姿や心構えを学ぶべきであると力説しています。工業製品においても「美しく、格好良くする」という目的でデザインしてはいけない、用途から考えれば必然的にその形にならざるを得ないという本質的な形態を、手を使って何度も試作しながら探していくべきであると。柳宗理が手掛けてきた数々の工業製品を見ると、まさにその言葉に集約されているように思えます。そのように作られたものは工芸品でも工業製品でも美しく、どちらも民藝の精神が宿っているのです。

 「アノニマス・デザイン」という言葉があります。アノニマスは匿名の意で、自然に生まれた無意識の美を意味し、柳宗理が提唱したデザインの定義です。「人の手や体に触れる実用品を、机の上だけで作ろうという考え方自体が間違っている」とし、デザインを考える時は手を使い、模型をつくり、持ちやすさや、持った時のバランスなど、徹底的に使い勝手が良いかを検証すべきと説きました。長い年月をかけて多くの人々によって機能性が追求された結果、ようやく辿り着く形こそが本当の意味でのデザイン。誰かがデザインするわけでもなく、その道具を使用した人々の集合意識の総意によって必然的にデザインが生まれていきます。生活道具として使用されるものであるため、何よりも使いやすくなければいけません。 その上で美しさは生まれてくるものです。それは表面的なものではなく、自然と湧き上がる美しさ。このようなデザインは一生愛着を持って使用することができるため、長年道具を愛用していく風潮も自然と生まれてくるのです。

 このように、柳宗理は「用の美」をものづくりの信念とした工業デザイナーであり、父・宗悦の「民藝」の原理を純粹普遍なものとして、分かりやすく説いた人物でもあります。消費を煽るようなデザインを批判し、実用性と機能性を追求してきたことは、かつて父・宗悦が新しい工芸を批判したことに重なって見えます。柳宗悦らの民藝運動に連動するように、1950年代後半から70年代にかけて民藝ブームと呼ばれる現象が起こりました。現在、民藝という言葉を聞くと、お土産屋で販売されている安価な工芸品のイメージを連想させるのは、この時期に「民藝風」のものづくりが盛んに行われ、その後も同じようなものづくりが繰り返されたため、民藝という言葉が俗化、陳腐化したためとも言えます。そして、産業の構造が大きく変化した今、買い替えを促すための斬新さが目を惹く製品、日用品も意識的にデザインされている製品などが数多く見受けられます。大衆に存在する美に目を向けた民藝と同様、人間の生活や道具の中に存在する美を抽出することがデザインの本質です。柳宗悦、宗理の信念を今一度見つめ直し、今こそその精神を受け継いでいく時ではないでしょうか。