[第114号]ジャポニスム再来〜ネオ・ジャポニスム

19世紀後半、欧州では日本の造形に対する関心の高まりと共に、その影響によって大きな流行様式が生まれました。ジャポニスムと呼ばれる異国趣味です。海外博覧会を通じて流通していた日本の工芸品、浮世絵、着物などの高い美意識に触発され、欧州人はその文化に魅了されました。鎖国が200年以上も続き、欧州にはほとんど日本の情報は入らなかったため、当時の欧州人から見た日本のイメージは「謎めいた国」。しかし、開国後に日本製品が次々に欧州へ渡ると、その美意識の高さや欧州には無かった発想や感性に驚き、瞬く間に日本ブームであるジャポニスムが興りました。ジャポニスムはフランスが発信の中心地となり、徐々にイギリスや北欧など主に海外博覧会の開催国を中心として広がっていき、富裕層だけでなく中流家庭でも室内を日本の品々で飾ることが流行するまでに。こうして日本は「謎めいた国」から「憧れの国」へと変化していったのです。

日本と欧州の貿易は、16世紀よりオランダまたは中国を経由しており、鎖国中もわずかながら日本の工芸品は欧州に渡っていましたが、1853年、ペリーが浦賀に上陸して正式に開国した後の1859年からは、欧州との直接の貿易も始まりました。ジャポニスムが興った要因の一つは、欧州との貿易開始8年後に開催された1867年パリ万博博覧会と言われています。そこで江戸幕府は、陶磁器、漆器、版画、着物など大量の展示を行い、閉会後には出展品を全て売却しました。それが日本文化が欧州で広く紹介されることとなったのです。文献によると、かなり法外な価格でも飛ぶように売れていたとのこと。その翌年1868年に明治政府が誕生、日本が初めて公式参加した1873年ウィーン万国博覧会を機に、外貨獲得と日本文化のレベル向上のため、政府は全国の地場産業に対しても積極的に海外博覧会への出品を奨励しました。地場産業もそれに呼応して精緻精巧な作品を次々と海外博覧会へ出品し、欧州でのジャポニスムの熱狂は頂点に達します。

ジャポニスムのもう一つの要因は、浮世絵の存在です。フランスを中心とする欧州の上流階級の人々が浮世絵を評価しコレクションを始めると、浮世絵を販売する商人が現れ、大量の浮世絵が海外へ輸出されました。浮世絵は欧州の芸術家に衝撃的な影響を与えており、例えばガラス工芸ではエミール・ガレが浮世絵に影響された作品を多く残しています。特に好んで多用された蜻蛉のモチーフは、それまで欧州では使われなかった図案でした。また、上から見下ろすような浮世絵独自の構図も欧州では見られなかった表現方法であり、遠近法で写実的な世界を描くことが主流であった欧州の人々に大きなインパクトを与えました。初めてそれを目にした彼らの驚きと感動は大変なものであったといいます。当時浮世絵の影響を受けた画家は、ゴッホ、マネ、モネ、ドガ、セザンヌ、ロートレックなどが挙げられますが、彼らは浮世絵を収集して模写を行い、こぞって自身の作品に浮世絵の要素を取り入れ、新たな作風を構築していきました。

ジャポニスムは日本側が意図して興した現象ではなく、欧州人が時代を変えていこうとしていた時期に、タイミングよく開国と重なったことが要因と思われます。1870年、フランスは帝政が崩壊し共和政へと移行する中で、民衆が文化の担い手という意識が強まります。浮世絵は民衆のための芸術とされ、特に葛飾北斎の浮世絵は「民衆を導く自由の女神」を描いたドラクロワなどに比肩するとも評されました。また日本は「謎めいた国」の他にも「近代化されていない夢の国」とも言われ、ゴッホなどは浮世絵を学ぶに留まらず、日本は光と色彩に満ちた国であるとその憧憬の念を高め、その光と色彩を求めて南仏でゴーギャンと共同生活を始めました。情報が限られた時代であり、ゴッホは想像を膨らませ、願望を作品に投影したとのこと。また、パリ・モードでも大きな変化が起きました。身体を締め付けるコルセットからの解放を目指していたデザイナーが、着物のデザインや裁縫に着目し、筒型のドレスを開発しました。日本の文化は欧州のファッションの近代化にも繋がっていたのです。

ジャポニスムは発生から約50年後の1920年頃に終焉しましたが、それからちょうど1世紀が経ち、政府は再びジャポニスムを興そうと、今年は欧州で政府主導の日本文化発信の事業が2つ実施されます。1つ目はフランス政府と連携した大型日本文化紹介のイベント「ジャポニスム2018」の開催です。今年7月〜来年2019年2月の8ヶ月間開催され、キャッチコピーは「世界はふたたび、日本文化に驚く」。展覧会、舞台公演、映像、生活文化の4つのカテゴリーで、日本の伝統芸能から現代美術、ポップカルチャーなどを紹介する50を超えるプログラムが用意され、パリ市内の20以上の美術館や劇場などが会場となります。安倍首相は「日仏は共に文化を重視する国で、文化交流をさらに強化する」と、開催に強い意欲を見せています。2つ目は日本の文化や技術などの海外拠点施設「ロンドン・ジャパンハウス」の開業です。外務省企画による海外拠点施設であり、地場産業企業や芸術家にとってロンドン・ジャパンハウスの存在は今後、大きな影響力を発揮していくことでしょう。

ジャポニスムの再来を、私は「ネオ・ジャポニスム」と呼んでいます。上記2つの事業はネオ・ジャポニスムに向け、大きな試金石となりますが、さらに今年は、ネオ・ジャポニスム到来に大きな役割が期待出来るイベントが11月に決定します。2025年開催の万国博覧会開催都市の決定です。パリ、エカテリンブルク(ロシア)、バクー(アゼルバイジャン)に加え、大阪が立候補しています。大阪開催が決定すれば、1970年大阪万博以来2回目の開催となり、2020年東京五輪後の日本国内最大イベントとして、世界が日本に注目することになり、さらなるインバウンド増加が期待できます。ネオ・ジャポニスム到来の目的は、訪日外国人客を地方にも招致して地方創生に繋げていくことだと考えており、地域の産業や文化を世界へ発信し、興味を持った方々から地方にお越しいただくという流れを、より一層構築していく年になります。「ジャポニスム2018」「ロンドン・ジャパンハウス」がいよいよ実施となる今年を転機と捉え、ネオ・ジャポニスム到来へ向けて大きく飛躍する年にしていきたいものです。