[第95号]金属工芸の究極美、木目金(もくめがね)

金属工芸は「鍛金(たんきん)」「彫金(ちょうきん)」「鋳金(ちゅうきん)」の3つの大別され、「鍛金」とは金属を金鎚で叩いて器状に、「彫金」とは金属表面を鏨(たがね)で彫るなどして模様を、「鋳金」とは鋳型の中に金属を流し込み器を成形していきます。玉川堂は鍛金と彫金の技術を活かして銅器を製作していますが、鍛金の応用技術として、「木目金(もくめがね)」という技術があります。私の叔父であり、玉川堂5代目次男・玉川宣夫(のりお・74歳)が得意とする技術で、木目金技術の継承と発展が認められ、2010年、重要無形文化財保持者(通称:人間国宝)に指定されました。江戸時代初期に開発された技術で、主に刀の鍔などに使用されていましたが、明治時代、廃刀令によって木目金の職人は失職し、技術がほとんど途絶えていたところ、玉川宣夫の技術継承によって木目金復興の原動力となりました。

木目金の技法は、銅・銀・赤銅(しゃくどう・銅に金が3%配合)など、何種かの金属を10~30枚程積み重ね、30分ほど炉に入れて溶着。金属塊を製作することから始まります。玉川宣夫曰く「この時が木目金製作の勝負所。怖がって熱し方が不足すると失敗する。溶かして失敗するくらいの気持ちで熱すれば上手くいくものだ」と。熱し方が不足すると金属同士が付着しないため剥がれてしまい、逆に熱し過ぎると溶けてしまい1個数十万円もする地金代が無駄になるという、勘と経験だけが頼りの難易度の高い作業です。金属塊が仕上がった後、今度はひたすら叩いて丸い板状へと伸ばしていき、表面を鏨(たがね)で削ると美しい木目状の斑紋が現れていきます。それ以降は、鎚起銅器と同じ技術を用いて金鎚で叩きながら器状へと成形し、最後に着色を施します。

「今の仕事は、銅板なら1.0ミリ、1.2ミリなど、電話一本で直ぐに手に入る。しかし、玉川堂の昔の先輩達は銅の塊からトッテッカン、トッテッカンやって、まずは銅板を作ることから始まった。そういう話を聞いていたものだから、いずれ銅の塊を叩きたいと思っていた。これが木目金製作のきっかけ。塊を打つ、という作業を大切にしていきたい」。大正時代まで玉川堂は、近郊の弥彦山から産出された銅の塊を用い、それを若手職人が中心となってひたすら打ち伸ばし銅板に仕上げていましたが、今は銅板が流通されており、効率化を考えると銅の塊を叩くことはありません。しかし玉川宣夫は、効率化によって失われた「塊を叩く」作業こそ銅器職人の原点であり大切な基礎であると、勤務後の夜、各自の練習時間を用い、玉川堂の若手職人に対して金属の塊を叩く作業を経験させています。

木目金は何十枚という金属を重ね、これを一日中ひたすら叩き続ける作業のため、木目金を一生涯続けていくためには、体力だけでなく、強い精神力と集中力が要求されます。しかし、「木目金製作の魅力は、異種金属が持つ色合の美しさを表現することであるが、ただひたすら塊を打ち伸ばし、地金と格闘する喜びに比べれば、二次的である」と言っています。『ほほえんで鎚を打てれば・・・』とは、玉川宣夫が初めて個展を開催した時のタイトルです。座右の銘は「鍛は千日。錬は万日。」50年以上、毎日ひたすら金鎚を振るってきただけに、日々精進の大切さは誰よりも熟知しています。千日(約3年)一つのことを稽古し続けることを「鍛」、万日(約30年)一つのことを稽古し続けることを「練」と言い、千日(1.000日)の稽古は粗削りながらの形作りで、万日(10.000日)の稽古はより洗練された完成度の高い仕上げを目指していきます。

金、銀、銅など、金属の持つ固有の色彩を利用し、様々なデザインを試みることは、洋の東西を問わず行われてきましたが、木目金のように金属の色彩を各種の金属で表現をすることは、日本的美意識の成せる業であると言えます。この日本的美意識に感化され、木目金製作に取り組む海外の工芸作家が増加傾向にあります。アメリカやヨーロッパが中心で、日本人にはない発想で新たな木目金の境地を切り拓いています。その海外の木目金作家は、毎年のように玉川宣夫の工房を訪問するために来日。玉川宣夫は木目金技術の世界的な継承発展のために、その勘や経験値を惜しみなく伝授しています。燕市産業史料館において、6月3日〜7月3日まで開催される企画展「アメリカ木目金作家作品展」では、アメリカ作家がどこまで進化しているのか、大変興味深いものがあります。

木目金の技術は、玉川宣夫の長男・玉川達士(玉川堂・匠長)を筆頭に、玉川堂の若手職人にも受け継がれています。6月4日〜19日まで開催の玉川堂創業200年周年展・東京開催(銀座1丁目・ポーラミュージアムアネックス)の展覧会キービジュアルは、玉川堂最新作「木目金MOON」。匠長・玉川達士が製作した木目金作品と、燕三条の金属加工業者6社の最先端技術を生かしたスレンレス作品を組み合わせた創業200周年記念アートピースで、玉川堂職人と燕三条の職人の精神と技術を融合させた渾身の作、玉川堂歴代作品と共に展示します。この度の展覧会を契機に、玉川堂では様々なアイテムでの木目金製品の開発を行い、来年春に開業する玉川堂銀座店にて販売していく事業計画を立てています。木目金の文化を正しく継承、そしてさらに発展させ、玉川堂の新たな世界観を表現していきたいと思っています。