イギリス特権階級の青年が、1年〜3年掛けて欧州を周遊した修養の旅のことを、「グランドツアー」と言います。古来より旅の目的は主に商用でしたが、1660年〜1820年頃を全盛期としたこのグランドツアーによって個人旅行の風潮が生まれ、現在の「観光」の起源となっています。グランドツアーは元来、欧州主要国の青年を対象とし、社交に出る前の教育的な位置付けとして行われましたが、イギリスが慣行化して社会的な制度に高めたということから、一般的にはイギリスの青年の旅を指します。人気の訪問国は、芸術先進国であるイタリアとフランスで、美術・建築・文学などの教養を深めると共に、上流階級のサロンに招かれ、礼儀作法やダンスなどの社交マナーも学び、教育の集大成としての側面を持っていました。
グランドツアーがイギリスで発展した背景には、植民地拡大による政治や教育の低下や、ルネサンス運動の流れに乗れず、芸術文化が未発達であったことが挙げられます。そのような社会状況下、国としては自国の大学で学ぶよりも、フランスやイタリアなど、芸術先進国を訪問することで見識や美意識を磨き、将来、自国の指導者として活躍する人材を育てるという思惑がありました。長期に渡る旅には、チューターと呼ばれる家庭教師が同伴し、名所旧跡などの訪問のほか、現地の貴族や学者の指導など、実地での英才教育が為されたのです。
グランドツアーを実施する中で生まれた新しい美意識のことを「ピクチャレスク」と言い、「絵画のように美しい」ということを意味します。イギリスの青年たちは、イタリアのアルプス山脈を筆頭に、旅先で出会った雄大な景色から感涙するほどの衝撃を受けました。その景色を絵画として残したいという思いから、風景画を描く風習が生まれたのです。西洋美術においては、歴史画のジャンルの中で風景画の発展はあったものの、風景をその場で描写する風習は無く、それまで見向きもされなかった題材でした。その後、イギリスの画家を中心に風景画が大流行し、西洋美術の新たなジャンルとして定着していきます。また、この風景画が契機となり、絶景を紹介する旅行ガイドブックも発行され、現在の旅行ガイドブックの礎にもなりました。
風景画に端を発したピクチャレスクは人々に広がり、その雄大な自然美を、日常の風景にも求めるようになり、「イギリス式庭園(イングリッシュガーデン)」が誕生しました。左右対称で人工的整形が特徴の「フランス式庭園」とは一線を画し、四季折々の草花を育て、雑草は全て刈り取らず、自然との共生を大切にすることが特徴で、バラを栽培したり、ハーブを摘んだりと、変わりゆく自然の美しさを楽しむ風潮が生まれました。さらに、この時期に発展したのが、銀器とアフタヌーンティーです。銀器には、グランドツアーの影響によってイギリスで発展した芸術様式「ジョージアン様式(ジョージアン・スタイル)」が採用されました。この様式は、銀器職人による卓越した技術のみならず、美意識の高いデザインも秀逸で、文化的に出遅れていた島国のイギリスが、ようやくスポットライトを浴び始めたのです。
「発想力は移動距離に比例する」という言葉を、私は常々発しています。観光の原点であるグランドツアーを見直し、様々な文化とそこで暮らす人々に触れることの大切さが、この言葉に込められているからです。グランドツアーの帰国後、イギリスの青年たちが担った社会的影響は特筆すべきものがあり、さらに、産業革命によって鉄道が開発され、欧州で鉄道網が広がっていくと、中流階層の青年たちも旅行をするようになり、その知見はイギリス経済にさらに大きな波及効果をもたらしました。現在、パスポート所持率世界一はイギリスの86%。一方、日本は17%で、隣国の台湾60%と比較しても、所有率の低さは際立っています。インバウンド政策は即効性が高く、短期間で日本経済を加速させますが、日本の弱点であるアウトバンド政策には、より強力な施策と国家予算を組み、長期的視野に立って日本経済を俯瞰していきたいものです。