ごあいさつ
玉川堂七代 玉川基行
現在、社会の成熟化が進行していることに伴い、精神的豊かさを求める風潮が生まれ、
高付加価値の製品が売れる時代となりました。これは、しっかりと時間を掛けて生産された商品を、
長期間使用していくという考え方です。そこで、この傾向をこれからの社会に定着させていくためには、
新たな生産スタイルを構築していく必要があります。まず、産業革命における機会力導入を
19世紀型の生産スタイルとすれば、20世紀型の生産スタイルは、フォード生産方式(規格大量生産)といえます。
そして、21世紀型の生産スタイルは、産業革命以前と同じ生産スタイルである
「モノづくり一貫システム」の導入を持論としています。
この「モノづくり一貫システム」とは私の造語で、生産のみならず、マーケティングから販売における、
モノづくりの全てのルーティンを生産者が一貫して携わるシステムのことです。
手技を駆使している製造業の方に対しては、特に必要不可欠なシステムであると考えています。私のコラム「鎚起銅器を斬る!」では、この「モノづくり一貫システム」を主題に、鎚起銅器業界の方向性や、
これからのモノづくりのあり方を提起いたしました。皆様のご意見をお聞きし、
皆様と共にこれからのモノづくりについて考えていければと思っております。
江戸時代以来の生活実用品製作へ
新潟県燕市の金属加工の起源は、1630年頃、農民の副業として和釘の製作を始めたことに端を発します。その約20年後の1649年、燕は村上藩に組み 入れられ、村上にある羽黒神社の御輿の金具を中心とした銅細工製作が始まりまし … ≫ 続きを読む
ものづくり一貫システム
幕府が崩壊し明治政府が誕生すると、工業化の資源を得るために、工芸品の輸出拡大を図りました。工芸は明治政府の殖産興業政策の重要な一環であり、海外 博覧会の参加を積極的に奨励したのです。玉川堂も明治政府の奨励を受け、明治6 … ≫ 続きを読む
デザイン教育の重要性
黒船来航から日清、日露戦争までの半世紀間、デザインは国が指導し、当時の伝統工芸品の図案は、日本画家に描かせ、工芸家が器に転写していました。玉川 堂も日本有数の南宋画家・瀧和亭をはじめ、三条の日本画家・帰山雲崖などに … ≫ 続きを読む
銅と対話ができる作家活動
1907年(明治40年)、日本画、洋画、彫刻の3部門の美術団体に共通の場を与えるため、日本で初めての官設美術展である、文部省美術展覧会(文展) が開催されました。大正に入り、帝国美術院展覧会(帝展)に、戦後からは日 … ≫ 続きを読む
銅の効用を利用した販売戦略
金属を叩く作業は、紀元前3000年、古代エジプトで始まり、その時に使用していた金属は銅です。日本で初めて銅が使用されたのは弥生時代前半(紀元前 300年)で、古代中国の影響により、道鏡、銅鉾などが製作されました。銅の器 … ≫ 続きを読む
お茶ブームが鎚起銅器業界にも波及
室町時代、中国から伝わったお茶は、千利休によって侘茶が完成され、今の形に近い煎茶が生まれたのは、江戸時代になってからです。主に、僧、貴族、武士たちに親しまれ、日本独自の文化に発展し、それに伴い全国各地で陶磁器を中心 … ≫ 続きを読む
若年層の心をとらえる酒器
茶道、華道、書道、武道など、日本古来から伝わる文化には、必ず「道」が付いていますが、酒だけは「酒道」という表現がありません。「道」の付く文化に は、礼儀作法や道具の規格が存在しますが、酒は礼儀作法や道具の規格が存在 … ≫ 続きを読む
鎚起銅器を華麗に彩る彫金技術
金属工芸は、鍛金、彫金、鋳金の3分野に大別することが出来ます。鍛金は金属を叩く技法、彫金は金属を鏨(たがね)で模様を彫る技法、鋳金は溶かした金 属を鋳型に流す技法です。新潟県燕市の銅器は、鍛金と彫金の技法を用いて … ≫ 続きを読む
金属の色彩美を極める木目金(もくめがね)
鎚起銅器の素材は、主に銅と銀を使用しますが、特殊な素材として「赤銅(しゃくどう:銅に金が3%含有)」、「四分一(しぶいち:銅に銀が4分の一含 有)」などが使用されます。これらの合金素材は日本の金属工芸を中心に使用され、 … ≫ 続きを読む
職人からクリエイターの時代へ
18世紀後半、イギリスで興った産業革命以来、小さな手工業的な作業場にかわって、機会設備による大向上が成立。これと共に資本主義的生産様式が確立 し、社会構造が大きく変化しました。次第に全世界へと波及し、大量生産、大量消費 … ≫ 続きを読む
