素材の恩恵に浴する

 日本はモノづくりをするための素材が豊富で、モノづくりを行う環境として、大変恵まれている国です。凍りつくような厳しい寒さの北海道から、雪を知らな い常夏の沖縄まで、日本は、寒帯、温帯、亜熱帯の全てを備えており、面積の小さな一国で、これほど様々な風土を持っている国も珍しいでしょう。南北に細長 い独特な風土が多彩な素材を生み、それに伴い様々な技術が開発され、現在の技術王国・日本の礎になっています。

 新潟県燕市も、昔から素材に恵まれ自然と共存し、400年近くにわたり金属加工品を製作している地域です。1630年頃、農民の副業として和釘政策が開 始され、1650年頃には村上藩の指示で銅細工が製作されました。銅細工は、主に神輿の金具や拝殿の金具などが製作されていたといいます。

 当時、燕で使用されていた鉄や銅は、東北地方など他の地域から運ばれてきましたが、1690年頃、燕の近郊・弥彦山で銅が産出されると、銅細工の製作者 が一気に増加し、燕は銅細工産地へと発展しました。玉川家も鎚起銅器を製作する以前は、三代にわたって銅細工を製作していたことが文献に残されています。 私は鎚起銅器製造業の家に生まれ、七代目として継承していますが、銅素材を扱うという意味においては十代目となります。

 江戸時代後期、燕は銅細工製作から鎚起銅器製作へと技術が変遷されましたが、大正時代、弥彦山が閉鉱すると、鎚起銅器の製作者は徐々に減少していくこと に。一方、他素材の金属加工で活路を切り開いた鎚起銅器職人が、スプーン、フォークなどの洋食器の試作に成功しました。その後、世界各国から注文が殺到 し、現在の世界的金属加工産地の基盤を築くことになったのです。

 日本の伝統工芸産地は、経済産業省から約260ヶ所指定されていますが、産地として構築された背景には、近郊から産出された素材が、安定して供給出来た ことに起因します。特に東北、北陸地方に伝統工芸が多数存在し、中でも新潟県の伝統工芸産地は14産地あり、京都に次いで全国二番目に多いのです。素材の 恩恵に浴した新潟県は、金物、塗物、焼物、染物、織物など、数多くの伝統技術が継承され、地場産業へと発展しています。

 古来より日本人は、自然の美しさを讃え、自然と共存しながらものづくりを行ってきました。自然に背いては、どんなに優れた技術を持ち合わせても、美しく は成り得ません。モノづくりとは、自然の恵みを記録している行為であり、素材への感謝の念が、モノづくりの原点と言えるのではないでしょうか。