[第118号]経営の軸は心の在り方〜石田梅岩の石門心学

 老舗について研究すると、必ず行き当たる人物がいます。石田梅岩(1685年〜1744年)です。資本主義の原点となる思想を生み出し、今日の企業経営の基礎を築き上げました。ピーター・ドラッカーより約250年も早く経営の本質を、そして、マックス・ウェーバーより約200年も早く経済倫理を説いた、ある種、伝説的経営の神様。松下幸之助や稲盛和夫ら日本を代表する名経営者も石田梅岩を研究し、それに関する資料を残しています。CSR(企業の社会的責任)の重要性が叫ばれてから、書店には石田梅岩を研究した本が増え、テレビでも度々取り上げられるなど、今再び脚光を浴びつつあります。石田梅岩は現・京都府亀岡市の出身で、彼が現役当時その教えは京都と大坂を中心としたその周辺地域に限られていましたが、遺志を継いだ手島堵庵(1718-1786)らが中心となって、その教えを「石門(せきもん)心学」と命名、民衆教化運動を起こして全国に広め、その後も広く国民に継承され、日本の社会に大きな影響を与えてきました。

 石田梅岩が思想家として活躍していた時代は、8代徳川吉宗(在位1716年〜45年)が君臨しており、当時の日本は実は現代と似たような状況にあったのです。江戸時代が始まって以降日本は好景気が続いたものの、石田梅岩が出現した頃は一転して深刻な不況期に。人口も、江戸初期の約1600万人から2倍の約3200万人にまで膨れ上がったものの、不況とともに減少の一途をたどり、今の日本と同様社会活力や労働人口の低減が問題視された時代でした。そのような状況下、石田梅岩は日本社会のこれからのあり方を自ら問い、商人がより積極的に活躍できる社会を構築していこうと考えました。当時は士農工商の制度の中で最下層に位置していたのが商人であり、商人が得た利益は、何も生産せず悪知恵で得たものとの理由で、社会からは軽蔑されていたからです。商業の正当性を主張し、商人にプライドを持たせ、蔑視の対象であった商人の商いを「商人道」として哲学にまで押し上げたのです。この石田梅岩の教えは商人たちの心を捉え、次第に商人の身分は向上していきます。

 「商人の買利天下お召しの禄なり。それを汝、独り売買の利ばかりを欲心にて道なしと云い、承認を憎んで断絶せんとす」。石田梅岩の代表作「都鄙(とひ)問答」の有名な一文です。商人が儲けるのは社会に貢献した報酬であり、これは武士がもらう俸禄と同じで、商人が存在しなければ、社会全体が成り立たないばかりか、国家が滅ぶとまで断言しました。また、商人も社会を担う重要な立場にあり、儒教の教えである「仁義礼智信」を常に心掛け、それを商人道に置き換えて商売を実施すべきであると説きました。「仁」はお客様に対する思いやりの心を持つ、「義」は私利私欲にとらわれず、不正は行わない、「礼」は礼を尽くしお客様を敬う、「智」は学問に励み、知識を得、正しい判断を下す。この4つの心を備えれば、お客様の「信」となって商売は繁盛し、必然的に日本社会も良くなっていくと説きました。後にこの思想は、明治初期、日本資本主義の父・渋沢栄一(1840年〜1931年)に受け継がれ、道徳と商売の一致を見るようになりますが、石田梅岩はその先鞭を付けたのです。

 ピーター・ドラッカー(1909年〜2005年)は、企業の目的は顧客創造であるとし、顧客中心の経営を説きましたが、その約250年前、石田梅岩は「真の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」とし、顧客満足の重要性を説きました。また、ドラッカーは「企業は何のために存在しているのか。それは事業を通じて社会に貢献するためである」と提言していますが、石田梅岩は、企業は社会の公器であるとし、私利私欲を離れた社会奉仕や社会貢献の必要性を訴え、商いの利益は社会貢献の結果であると説いています。マックス・ウェーバー(1864年〜1920年)は、勤勉と倹約の精神を訴え、神から与えられた職業に禁欲的、勤勉に従事して得られた利益は信仰の証であり、神からの救済の一部であるとし、利益はあくまで清貧な生活から得なければならないと説きました。石田梅岩は、勤勉と倹約によって蓄えた富の一部を寄付などを通じて社会に還元することにより、世に尽くす公の行為になるとし、商人が一方的な欲得で金儲けを行っていては社会は発展せず、利益は正直と倹約で得るものでなければならないと説いています。

 ピーター・ドラッカーは経営学者として、マックス・ウェーバーは経済学者として、いずれも世界を代表する学者の一人。両者の思想は、当時は斬新かつ先見性に富んだ発想として受け入れられ、その後も世界中のビジネスマンに大きな影響力を発揮し続けていますが、それよりも200年以上遡って同様の思想を提言した石田梅岩の先見性の高さには、驚くべきものがあります。石田梅岩の時代は主従関係の厳格な封建制度の世の中にあって、その先見性がいかに鋭敏なものであったかを如実に示しており、現代に通用する革新性に富んでいます。石田梅岩の教えは石門心学として、脈々と日本のビジネスマンへ継承され、現代の企業倫理や経営哲学の基礎となっており、日本企業の経営理念の根幹を成しています。しかしながら近年、企業の不祥事は連日のようにマスコミを賑わせており、顧客の利益を顧みない売上至上主義の歪みが表面化しているように思えます。CSRの意識をより一層高めると共に、石田梅岩の教えを再認識することが、今、日本社会に求められているような気がしてなりません。

 日本が明治維新から欧米列強に並ぶまでに急成長した要因の一つとして、近江商人の三方よしの精神を、多くの国民によって継承されたことが挙げられると個人的には考えていますが、その商人道徳としての土台を築いたのが、石田梅岩が説いた石門心学です。適法性(法的に正しい)と道徳性(道徳的に正しい)を区別し、適法性よりも道徳性を重視しました。正直という行為の善悪を決める基準は、自分の内面にあるものであり、その心が許さない行為は、例え人が認めても、例え法律で許されていても、やってはいけないとし、この心のあり方が石門心学の名前の由来となっています。これまでの企業のあり方は、経済効率や目に見えるモノやカネを価値観の中心に据えて判断してきましたが、これからの企業のあり方は、人としてどう生きるかといった倫理観や社会との連携感、いわば「心の豊かさ」を求められる社会になるでしょう。「人を大切にする経営」を今から300年も前に唱え、人間の本性を軸とした経営感を広めた石田梅岩の教え石門心学は、今こそ学ぶべき学問です。