[第113号]シノワズリーに見る、日本工芸の原点

1600年代半ば以降、西洋人は中国製の白磁の美しさに魅了され、貴族や富裕層らは競ってそれを買い求めました。いわゆる「シノワズリー」と言われる中国ブームです。透き通るような美しい白磁の花瓶、ティーポット、カップアンドソーサー、プレート。その器の表面に描かれた、花や竹林などの極めて繊細で美しい中国紋様は、世界デザイン史における代表格であり、中国人の美的センスと感性の素晴らしさは見事の一言に尽きます。その多くは、中国の景徳鎮で製作されました。この「シノワズリー」を通して東洋と西洋の融合が進み、西洋人の異国情緒を駆り立て、東洋の神秘、中国への幻想が生み出されたのです。それは西洋人のものづくりにも反映され、中国紋様の影響を受けた食器、装飾品、家具、庭園、ファッションにまで幅広い中国文化が移入され、西洋人の生活様式に大きな影響を与えると共に、中国に対する関心と憧れは最高潮に達しました。

シノワズリーブーム開始間もない1690年頃、イギリスの東インド会社は中国のお茶の輸入を始め、次第に絹に代わってお茶が貿易の中心となりました。また、コーヒーも東インド会社が本格的な輸入を開始したため、欧州にお茶やコーヒーの需要が広がり、陶磁器のカップアンドソーサーなどは日常生活の道具として不可欠なものとなります。中国製の白磁が欧州に広く流通されると、シノワズリーブームはより一層加速すると共に、価格も高騰し始めました。そこで、自国で白磁を製作出来れば価格も抑えられると、1710年ヨーロッパ初の磁器窯がドイツのマイセンで開業したのを機に、欧州でも本格的に白磁の製作が始まり、次々に磁器窯が広がっていったのです。「ヘレンド(ハンガリー)」「ウェッジウェッド(イギリス)」はじめ、今や世界ブランドとして日本人にも愛されている名窯も、藍と白を使った模様や花鳥風月などシノワズリーの文様を盛んに製作し、今も定番模様として人気を博しています。

シノワズリーブームが起こり中国製の白磁が西洋人に受け入れられた最大の要因としては、当時の欧州の技術では同じものが生産出来なかったことが挙げられます。欧州はガラスや金属製品の先進国は揃っていたものの、陶磁器全体の技術は未熟であったため、ヨーロッパの陶磁器の職人たちは中国製の白磁の純白さに憧れたのです。そこで見よう見まねで陶土に牛の骨を混ぜ、試行錯誤の上、やや技術的な荒さは残るもののようやく中国風の白磁を再現することに成功しました。欧州の磁器が今でも「Bone China(ボーンチャイナ)」と呼ばれるのは、このような経緯があったからです。もう一つは、中国独自の形状とデザインの美しさです。中国の磁器の膨らみを持った形状、丸みと鋭い直線を巧みに使い分けた形状、中国の花々の装飾、童子の織りなす風俗絵など。それらの造形美とデザインは、西洋の文化とは全く異なるデザインであるため新鮮味に溢れ、西洋人の五感を大きく刺激し、大きな驚きをもたらしたのです。

シノワズリーブームは白磁だけでなく、漆器や絹織物など中国の工芸品全般が対象となっており、西洋人は中国の工芸を賞賛し、生活道具として取り入れていきます。また、シノワズリーは当時の日本の職人たちにも大きな影響を与えました。中国では銅器も盛んに製作しており、私たち伝統工芸に従事する者にとって、中国の工芸無くして現在の日本の工芸は語れません。シノワズリーがブームであった当時の銅器の資料はほとんど見当たりませんが、中国では約4000年前から青銅器が製作され、東京・南青山「根津美術館」の常設展示では約3000年前の青銅器の数々を見る事が出来ます。その造形力の高さは特筆すべきものがあり、何度見ても毎々感銘を受けます。鎚起銅器に「宣徳色(せんとくしょく)」という着色名がありますが、これは中国・明の宣宗時代(1426〜35)に製作された「宣徳銅器」の色に由来する着色技法です。日本の銅器技術は中国から移入されたものであり、玉川堂の鎚起銅器技術のルーツも中国にあるのです。

欧州のバロック、ロココなどの伝統的様式と異なるシノワズリーの様式は、新鮮さを求めていた西洋人の感性を目覚めさせ、当時の貴族や富裕層にとって、シノワズリーを生活様式に取り入れることは一種のステータスでした。数百年の時を超え、今なおシノワズリーは世界中の人々を魅了し続けており、特にインテリアやファッション業界では世界中で様々な商品に活かされています。シノワズリー柄をモチーフとした食器、テーブルクロス、照明器具などは、時代を問わない定番アイテムであり、最近では透かし建具や壁紙など、内装デザインとして採用するホテル、レストラン、商業施設が増え、今後新たなブームを呼び起こす予感もします。シノワズリー柄はインパクトの強いデザインのため、コーディネートが難しい一面もありますが、一部に取り入れることで洗練された空間を演出し、世界中の文化と融合させることも可能な汎用性も兼ね備えています。

日本の鎖国が崩壊、明治政府が誕生すると、日本は海外博覧会へ毎年のように出展し、日本の工芸品などが欧州各地で紹介されました。そこで日本の技術力や造形力の高さに驚き、中国趣味・シノワズリーから、今度は日本趣味・ジャポニズムが起こります。ジャポニズムへと移行した背景としては、シノワズリーによって欧州マーケットの下地が出来たことと、日本は古来より中国の技術を盛んに取り入れていたことがあり、その意味でジャポニズムは中国無くして語れないことも事実です。古来より中国の工芸は世界一の技術力と感性を持ち合わせており、日本の伝統工芸にとっても中国の影響力は計り知れず、日本の工芸技術の源、そして、日本のデザインの原点は中国であるとも言えます。シノワズリーの息吹は、現在も世界中のインテリアやファッション業界などに大いに取り入れられていますが、その他様々な業界においても中国の文化を学ぶことはインスピレーションの源になると思っています。