[第103号]胃袋が求める旅~ガストロノミーツーリズム

2020年、東京オリンピック開催に向けて訪日外国人観光客が大幅に伸びている中、さらなる訪日外国人観光客誘致へ向け、地方自治体や地場産業は様々な取り組みを行っています。中でも郷土料理と日本文化を活用し、インバウンド誘致を狙う「ガストロノミーツーリズム」が注目を集めています。ガストは「胃」を、「ノミー」は「方法」「学び」を意味し、「美食学」とも訳されます。旅において食は大事な要素ですが、ただ食を楽しむだけでなく、食を旅の主目的として位置付け、その土地の風土や伝統が織りなす食文化を丸ごと体感する、欧州で始まった新しい旅の形態です。世界的なローカルシフト(地方回帰)やヘルシーブームの追い風を受け、食に対する関心は世界的に高まっており、かつて料理業界では美食という意味合いが強かったガストロノミーも、現在では食の多様化を楽しみ、生産地を訪れ、農家体験や料理体験などを行うツーリズムの分野として、今後、地方創生の大きな役割を果たしていくものと思われます。

平成28年、観光庁発表「訪日外国人観光客消費動向調査」によると、外国人観光客が「訪日前に期待していたこと」に関するアンケート調査で、和食、景勝地観光、伝統文化体験、旅館宿泊、温泉入浴などが上位に挙がっていますが、中でも和食は第1位。平成27年のデータでは、訪日外国人の食事額は6,420億円で年々増額しており、日本の外食産業に大きな影響を及ぼしています。和食は世界の主要都市にてブームになっており、さらにはユネスコの無形文化遺産に指定された影響よって、訪日外国人観光客に大きなニーズがあり、地方都市にインバウンド誘致を進める場合、食文化と日本文化の組み合わせは、重要なキーワードとなります。各地域がガストロノミーツーリズムに取り組むメリットとして、新たなインフラを作らなくとも地域の魅力を伝えることができ、観光向きではない地域でも、取組次第で魅力的な観光地として成長できることが挙げられます。つまり、今ある地域資源を掘り起こし、それを最大限に活用していくことが求められているのです。

篠田昭・新潟市長は、今年の新年挨拶の中で、ガストロノミーツーリズムを2017年の重要政策の一つとして打ち出すと語りました。2016年4月、G7農業大臣会合の開催地となった新潟市は、国の農業戦略特区に指定されており、新潟の四季折々の豊かな食材を活かした「美食のまち」をスローガンに、ガストロノミーツーリズムの国内先進都市を目指します。例えば200年の伝統を誇る新潟古町芸妓は、日本三大芸妓の街として、京都の祇園、東京の新橋と並び称され、新潟市を代表する伝統文化の一つ。市内最大の繁華街・古町には、この芸妓を楽しむことが出来る料亭が今も多数存在しており、国内外のビジネスマンや観光客を魅了しています。それを支えているのが国内有数を誇る、新潟ならではの「食」です。新潟は日本一高品質の米を生む土壌で、日本酒の酒蔵数も日本一。野菜や果物も全国有数の品質の高さを誇ります。また、東京・名古屋間とほぼ同じ距離のある新潟県の海岸は、実に多種多彩な魚介類が生息しており、まさに海の幸の宝庫。これらの地域資源を生かし、生産者と飲食店の融合など、異業種連携による食文化創造支援事業の展開を積極的に行っていく方針です。

新潟市以外でも、今年からガストロノミーツーリズムの事業を、本格的に実施していく自治体が次々と出現しています。昨年10月、ANAホールディングスの子会社「ANA総合研究所」は、飲食店情報サイト「ぐるなび」と共同で、「ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構」を設立。ONSEN(温泉)という名の通り、温泉として有名な自治体の7首長が、発起人として名を連ねています。北海道弟子屈町、秋田県大館市、福島県会津若松市、山口県長門市、大分県別府市、大分県竹田市、熊本県天草市の7市町です。外国人に人気の高い温泉を地域資源として、「温泉(ONSEN)」と「食」を、その土地固有の地域の魅力と共に、ウォーキング等を通じて体感する事業を実施し、訪日外国人観光客誘致を促進することが目的です。5年以内に会員として100自治体の加入を目標としていますが、ガストロノミーツーリズムは、今後、地方自治体の重要な政策となっていくため、賛同する首長は次々に増えてくるものと思われます。

欧米では、既にガストロノミーツーリズムの概念が浸透しており、食を地域資源とし、世界的観光地として認知されている地方都市は多数存在しますが、そのトップランナーと言われている街がサン・セバスチャンです。スペイン北部バスク地方、人口18万人という小さな街ですが、EU認定「欧州文化首都」に選定され、世界一美食の街として知られています。ガストロノミーツーリズムに焦点を当てた様々な施策を、1990年代後半から官民一体となって展開し、料理大学の設置、地域のシェフたちがお互いのレシピをオープンにする仕組みなどを作り、切磋琢磨して調理技術向上に繋げるなど、今や連日、外国人観光客で大変な賑わいとなっています。かつては高級保養地として知られている程度で、観光資源は特になく、この地を訪れる観光客は低迷していましたが、ガストロノミーツーリズムの概念を街中に浸透させ、わずか10年で世界的観光都市へと変貌を遂げました。地域ブランドの世界的成功事例としても取り上げられており、地方創生のヒントは、サン・セバスチャンに隠されています。

日本は世界のガストロノミー関心層からの期待に応える地域資源を数多く持っています。世界最多の魚種を水揚げする全国2000以上の漁港や、豊かな風土で作られる農作物や山菜に代表される山の恵み、そして郷土料理や二十四節気ごとの行事食。全国約67万店舗の外食店と、それを支える68万人以上の料理人の高い技術力とクオリティー。ミシュランの星の数は世界最多を更新中で、編集長が「世界の美食の中心として群を抜いている」と絶賛しています。このように、世界のトラベラーが期待するガストロノミーツーリズムの要素は、間違いなく日本にあります。シリコンバレーがIT産業に特化したように、サン・セバスチャンは料理を知的産業として大成功を収めました。今年2017年、日本はガストロノミーツーリズム元年の年となります。全国の自治体が、食を通じて地域の魅力を発信し、世界中の方々と共に郷土料理を楽しむことの出来る地域振興策を、地域の垣根を越えて検討していきたいものです。