[ 第25号 ]玉川宣夫が人間国宝認定へ

先月(7月)16日、国の文化審議会は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に玉川宣夫(のりお)を認定するよう文部科学大臣に答申。9月上旬、工芸技術 の部「鍛金」で認定されることが正式に決まりました。玉川宣夫(68歳)は玉川堂5代目次男で、私の叔父にあたり、1954年(昭和34年)に玉川堂入社 後、一時上京し、人間国宝・関谷四郎氏に師事。玉川堂復帰後、日本の工芸界において頭角を現し、日本工芸会展にて「東京都知事賞」「NHK会長賞」を受 賞。2002年(平成14年)には、「紫綬褒章」を受章し、工芸(鍛金)の分野で次期人間国宝の最右翼と目されていました。

文化庁伝統文化課によると、人間国宝は、芸能もしくは工芸技術の分野において、技術そのものの文化財認定とその技術保持者の文化財認定をセットにしてお り、日本の伝統文化を保存、後継者を育成し、技術と人材を後世に伝えることを認定の目的としています。人間国宝の認定は1954年(昭和29年)から始ま り、民芸運動で活躍した浜田庄司、富本憲吉らが初代人間国宝となり、新潟県では玉川宣夫が5人目の認定。金属加工産地・燕三条地域では初の人間国宝誕生と なり、現在、燕市は「燕市名誉市民」の称号を贈呈する手続きをしています。

玉川宣夫は鎚起銅器の技術を基に「木目金(もくめがね)」の技法を活かした独自の作風を生み出し、木目金技術・世界第一人者として知られています。木目 金とは銅、銀、赤銅(銅に金が3%含有)など、色彩の異なる金属を20〜30枚ほど重ね合わせて融着させ、金属塊を製作。それを金槌で打ちながら、また鏨 (たがね)で表面を削り落とすことで木目模様の金属板にした後、器へと成形していく技法です。金槌で丹念に鍛え上げることにより、重ね合わせた金属の層が 流れたり、膨らんだりと、複雑な木目模様が美しい風合いを醸し出します。

木目金は多数の金属板を重ね、これを一日中ひたすら叩き続ける作業のため、木目金を一生涯続けていくためには、体力だけでなく、強い精神力と集中力が要 求されます。しかし、玉川宣夫は「異種金属が持つ組み合わせによる斑紋の美しさが木目金の魅力であるが、ただひたすら塊を打ち延ばし、地金との格闘する喜 びに比べれば、それはあくまで二次的」と言います。玉川宣夫の製作を見続けていると、地金との格闘に鍛金家としての喜び、苦しみ、そして醍醐味を味わって いるように思えます。「微笑んで鎚を打てれば・・・」とは、以前開催された玉川宣夫の個展のタイトルです。

座右の銘は「鎚は千日、錬は万日」。弊堂を約半世紀もの間、職人のリーダーとして支えてきただけに、日々の精進の大切さは誰よりも熟知しています。この 鍛金家としての精神は、弊社の若手職人にも受け継がれ、そのうち、玉川宣夫の長男・玉川達士(弊社工場長・40歳)、須佐真(弊社職人・35歳)は木目金 の技術を継承し、仕事後や休日を利用して木目金の製作に精進。二人とも日本工芸会展(全国展)で入選を重ね、「日本工芸会正会員」に推挙され、金属工芸若 手の旗手として将来を嘱望されています。

玉川宣夫は常に地元への感謝の気持ちを忘れることはなく、「燕のモノづくりの歴史がなければ、今の私は存在しない」と語っています。燕に恩返しし、次世 代に技術と精神を伝えていくことを人生のテーマとしていただけに、この度の人間国宝認定は大きな励みになっています。今日も森羅万象、全ての物事に対し感 謝の念を胸に秘め、次世代に日本の文化と精神を後世に正しく伝えるべく、精進の日々が続いています。