•  

「用と美」の極み 燕の金物に息づく職人技 玉川堂

 ミヤマの燕工場、分水工場がある新潟県燕市は、金属洋食器をはじめとした金属加工産地として世界的に有名なところです。
「燕周辺は今でこそ穀倉地帯と呼ばれていますが、その風景が出来上がったのは昭和30年以降。その昔、信濃川下流域は
水害が多く稲作が困難な地域でした。」そう語るのは、燕市産業資料館学芸員の斉藤優介さん。燕の金属加工の起源は
今から400年程前の江戸時代。洪水被害に苦しむ農民を救済するため、幕府の代官が江戸で需要が増していた和釘づくりを
奨励したことから、金属加工が地場産業として広まっていったといいます。

 明治時代に入り、文明開化で西洋料理店が次々と開業するなか、当時は輸入品だったスプーン、フォークなどを燕の職人が
手作業で試作に成功。こうして金属洋食器の製造が始まり、燕は世界的な金属加工産地へと発展していったのです。実はこの
製造に国内で最初に成功したのは、新たな金属加工を目指した燕の鎚起銅器職人だったといいます。

一方で、創業195年を誇る鎚起銅器の老舗である玉川堂は、現在も伝統的な職人芸により、茶器や酒器などの高級品を製造
しています。「縮めるのも丸めるのも職人の勘ひとつ。寸法はすべて職人の頭の中にあります。こうした技は代々職人の相違
と工夫により現在に受け継がれています。」と、7代目の玉川基行さんはいいます。江戸時代後期、近郊の弥彦山付近で銅が
採れたことから、鎚起銅器の製造が盛んに行われるようになったという燕。現在では、国内唯一の伝統的な鎚起銅器の生産地
でもあります。

「燕はメッキ、磨きなど金属加工に特化した事業者が集積し、伝統工芸品から最新機器まで、金属加工なら何でもこなせる
ひとつの企業体のような地域です。」とは斉藤さん。江戸時代の和釘づくりから職人が受け継いできた伝統の技、そして
歴史的、地理的要因も相まって、燕は独自の文化を形成してきたのです。燕を訪れた際には、ものづくり燕の魅力を探って
みてはいかがでしょうか。

 

玉 川 堂

使ったときに心地いい一生ものを探す

 明治時代末期に建てられた築百年という店舗は、古きよき日本を忍ばせるまさに異空間。日本庭園をのぞむ和室で銅器を
選んだり、店舗の奥にある工房で職人たちの鎚起銅器の製造を見学したりできます。

   玉川堂の創業は江戸時代後期の1816年。仙台の渡り職人が鎚起銅器の製法を初代に伝えたことから始まり、代々職人が
継承・発展させてきた鎚起銅器製造の技は無形文化財でもあります。工房では伝統的な技で現在のライフスタイルに適した
日常使いのできる茶器や酒器などを製造しています。

「自然素材で作られた伝統的な工芸品の形はおしなべて美しいものです。そこには”機能美”が存在し、時代に左右されず、
一生愛着を持って使っていただけます。」と語る七代目。銅器は使えば使うほど光沢が増し、さらに味のある色に変化する
といいます。機能的で美しく、お茶やお酒などの味がまろやかになるという銅器は、世代を問わず人気の高い逸品です。